高橋義雄『箒のあと』上・下巻(昭和8年、秋豊園刊)の本文を、やや読みやすい現代文になおして紹介するにあたり、その目的と方針を示す。

「箒のあと」は、「大正名器鑑」「近世道具移動史」「萬象録」や数々の茶会記の著者で、前半生を実業家として、後半生を趣味人として生きた箒庵高橋義雄(18611937)が、昭和6年から一年にわたり、都新聞紙上で発表した自叙伝的文章(1300章 箒のあと(全)目次へ)である。今日でいう日経新聞の「私の履歴書」のようなもので、箒庵の趣味の多様さ、交友関係の広さにより、箒庵が生きた時代の文化状況、人物交流の一端を知る豊富な材料が提供された面白い読み物になっている。★2020年11月に人名索引を追加しました。

 わたしは、ある近代数寄者への興味から本書に接したが、この本が、当時のことを研究するごく限られた人に読まれているだけでは惜しいと思った。原書の入手は、やや困難とはいえ不可能ではないし、図書館での閲覧も可能だ。しかし絶版になって久しく、必要もない人がわざわざ手に取る種類の本ではない。なによりも分量がかなりある。そこで、ウェブで公開し、どこでも好きなところを読んでもらえるようにしておき、興味を持たれた方には原書にあたってもらうことにしたらどうかと思った次第である。
 そこで、ここではなによりもまず、必要文献として本書をひもとくのではないほとんどの人に、どこでも一頁、二頁とつまみぐいしていただけるよう、また速いスピードで読んでもらえるようにすることを目標にした。現代文になおしたものは、400字詰め原稿用紙で1700枚程度、文庫本3冊ほどの長さになった。

 書かれている内容を明らかにすることに主眼があるため、原文の言い回しをなるべく残しながらも、本文どおりではない。よって、ここからの引用は原書を引用することにはならないことに注意していただきたい。以下、その他のいくつかの方針をしるす。


1、基本的に、旧字は新字に、旧仮名遣いは新仮名遣いにあらためた。しかし、人名で旧字を残した場合がいくつかある。その判断基準は主観的なものであることをお断りしておく。

2、本文のなかで【 】内にいれたものは、原著者が原文で( )書きにしているものか、ルビが振られていたものである。

3、日本の元号で記された年には、なるべく( )内に西暦を示すようにした。原文にはないものである。

4、漢文詩については、力量不足で翻訳に間違いが出る可能性が高いので、危険を冒さずそのまま記した。ただし、旧字はおおむね新字に改めた。

5、支那という表現は、本書が書かれた当時、時代を問わず、現在の中国を指す言葉として使われていたので、中国、清などしても定義やニュアンスが違ってくる場合が多い。よって本文では、断りを入れない限り「シナ」という表現で統一した。

6、この著作は高橋箒庵の手記であり、今日の一般的な歴史認識とは相いれないと思われる部分も散見されたが、そのまま残した。あくまで「おもしろい読み物」としてお読みいただきたいと思う。

7、(注)で、難しい読み方のルビを振ったり、その他の注意事項を示したりした。

8、現代語訳を進めていく過程で、原文の表現をより多く残すべきではないかと葛藤することが多くなったため、後半に進むに従い、現代語訳をしない部分が多くなっていることをお断りしておく。

なお、校正上のミス、翻訳上の間違いなどが多々あると思います。もしも見つけてくださったときには、ご連絡いただけると幸いです。

        


あとだし庵主人


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