箒のあと(全)目次ページへ】【現代文になおすときの方針

二百四十三  決闘実験談(上)(下巻346頁)

 高田釜吉君が狩猟において、超人的な妙技で各種の武器をいずれ劣らず使いこなすということは、これまで披露してきたとおりである(注・237「独逸狩猟談」240「超人的手裏剣談」
242「水国飛将軍」参照)が、君の先人に当たる「天下の糸平」(注・釜吉は糸平田中平八の三男で、高田家の婿養子になった)の血統を伝える者で、信州ばりの負けじ魂と秘めているからでもなかろうが、ドイツ留学中に、かの国で流行していた決闘を実行するにいたった経験を持つとなれば、これは日本人としてはほとんど他に例を見ないことではなかろうか。その君が、なんらの誇張もなく、ありのままに事実を語る談話をきくだけで、血湧き肉躍るの感をもよおすので、次にその大要を紹介することにしよう。(注・旧字を新字に、旧仮名遣いを新仮名遣いにあらためた)


「私は明治二十五(1892)年より三十五年まで、十年間ドイツに留学しましたが、私の通っていた学校の助教授で、オルフという男が、平常卑怯者で、かつ意地悪であったから、学生側より常にげじげじのごとく思われていたが、私は一級二十五人の級長となっていたので、オルフが時間通りに出席しなかったとき、私は彼の室に参って催促をしたところが、彼はなにやら婦人のもとに送る手紙を書いている様子なので、生徒が非常に待っていますから至急ご出席くださいと言えば、ただいま手紙を書いて居るから書きおわったら出席するとばかりでいつまで待っても出て来ぬので、私は再び彼の室へ押しかけ、貴方は私用の手紙を書いていながら予定の時間に出席せぬのは教師として甚だ不都合ではありませぬか、と詰責したところが、彼は非常に横幕(注・横柄と権幕の造語?)で、私を叱りつけましたが、この時よりして彼は私に含むところがあった様子で、何か落ち度を見つけて私を追い出そうと企んでいたらしい。その時学校において貴重な品物が紛失した事件がありましたが、彼は私の下宿を訪ねて、私が試験用に書き溜めておいた書類を見せよと言いますから、何心なく戸棚を開けて見せますと、その書類には目をつけず、かの紛失した貴重品を見出さんとするもののごとく、何かしきりにきょろきょろと見まわして、とうとう諸方(注・しょほう=あちこち)の引き出しなどまで開けかけたので、あまりの無礼に私もたまらず片手で彼を押しのけたところが、彼は私の足につまづいて、すってんころりと横倒れになった。このとき彼は血相を変えて私に名刺を差し出しましたが、これは無論、私に決闘を申し込んだわけでありますから、私もこの場に臨んで引き下がるわけにもいかず、同じく名刺を彼に渡したのであります。
  これにおいて私は、図らずも彼と決闘をしなくてならぬこととなったが、これを日本人に話せば必ず引き留めらるるから、一切無言で熟考の末、私の友達であったドイツの軍人にこのことを話すと、この男は軍人のこととて、事ここに至っては、断然決闘するほうが宜かろうと勧めたばかりでなく、自ら進んで立会人になろうと言い出されたので、このほか、さらに今一人の軍人を頼んで証人となし、時日を定めて郊外の原中で決闘することとなりました。
 かくして、この決闘までには約二週間ばかりの余裕がありましたが、ドイツでは決闘を申し込まれた方に武器選定の権利がありますから、私は双方武器を使用せずに決闘しようと申し出たところが、当国ではさようなことは行われないというので、しからば先方の好み次第にしようとて、とうとう短銃と定めたので、私の友人らは私に対して、至急短銃の打ち方を稽古せよと申しましたが、私は二週間くらい習ったところで格別の進境もなかろうから、別に稽古するにも及ばぬとて、このまま時日の来るのを待ちました。
 そこで決闘の前夜、宮岡恒次郎氏その他、私と同宿の日本人を招集して、シャンペンを飲んで、それとなく訣別したのでありますが、私が何も言わぬので、なんのために、かような会合を催したのか、いずれも不思議に思っておりました。
 さていよいよ当日となって現場に赴けば、先方は二人の立会人を連れてすでに出張しておりましたが、立会人は双方ともに正服着用で、決闘の場所は、十間(注・一間は約1.8メートル)の間隔を置き、双方号令をかけて三回までこころむる(注・試す)のであります。しかして、今や決闘の始まらんとするとき、先方の立会人が使者に立って、このたびの決闘は、もともと格別の原因もないことだから、双方弾丸を空中に放って、散会しようということでありました。よって当方も、その意を諒とし快くこれに応じたのでありますが、これは先方が私を騙してその身を全うしようという狡猾な手段なのでありました。」(注・次ページにつづく)


【箒のあと(全)・目次へ】【箒のあと・次ページへ