二百三十七 独逸狩猟談(下巻324頁)
大正八(1919)年一月末のことであった。私はある晩、井上勝之助侯爵(注・井上馨の甥で養嗣子)に招かれて築地の瓢家に出かけたが、その席には、高田釜吉、岩原謙三、有賀長文、野崎広太諸氏の顔が並んでいたので雑談は八方に飛び広がり、興味はいやがうえにも沸き立った。
なかでも高田釜吉君のドイツ留学中の狩猟談は興味津々たるものがあり、非常に参考になるべきところがあるので、その大要を紹介しておこう。(注・旧字を新字に、旧仮名遣いを新仮名遣いにあらためた)
「私は本来、狩猟が好きなので、ドイツ留学中、ひととおり、かの国の形式を研究せんと思い、あるとき同国において名高い狩猟先生方に入門しましたが、不思議なことには、日本において囲碁の階級に、九段を名人といい、八段を上手というがごとく、ドイツにおいてもやはり、狩猟の名人を九段と呼んで居るのである。
ところでこの先生は、いわゆる名人の称あるにそむかず、狩猟上においては、ただその目的物を撃ち取るのみをもって能事とせず、それぞれの場合に応ずる心の働きを主として、優等合格の弟子には、卒業の際、三段の免状を与うるのであります。
私が卒業の際は、同級生が七人ありましたが、私は幸いにして、その第二番目で卒業することを得ました。しかしてその卒業試験というのが、いわゆる心の働きを主とするもので、第一番の生徒に対する試験は、小鳥が七羽飛んできたのを打ち取るべしと命じたのでありますが、さすがに第一番の位置を占めるほどなれば、二連発にて、まず最初の一羽を打ち、第二弾にてその次の一羽を打ち落としたところが、先生は非常に不機嫌で、そもそもこの小鳥は、スウェーデン(原文「瑞典」)、ノルウェー(原文「諾威」)などより独逸に飛び来たった渡り鳥である。されば、ドイツ国よりいえば、かかる外国の渡り鳥は、一羽も残さず、ドイツの国内で打ち取らなくてはならぬ。すなわち、この鳥の飛び来たった時、まずやりすごして、いずれかに落ちたところを待ち受け、時宜を見計らって打ち取らば、七羽中の四、五羽くらいは手に入るべきはずなるに、一時に二羽を打ち取って、残る五羽をドイツ国外に取りのがしたのは、狩猟者として、はなはだ無念の至りである、とて、三段の免許を与えず、それを二段に落としたのである。
さてその次は私の順番で、ある池の中に三羽の鴨が下りて居るのを打ち取れということであったが、私は前例に懲りて居るから、なんでも三羽を残らず打ち取らなくてはならぬと思い、さまざまに工夫して、稍(注・やや=しばらく)一時間ほど小蔭に隠れて待って居ると、折よくも、二羽の鴨が一列に打ち重なったので、たちまち一発にしてこれを撃ち取り、他の一羽が驚いて飛び上がったところを、さらに撃ち取って、三羽ともにしとめたので、まず良かったと思って先生の前に出ると、先生が言わるるには、鴨は大型の鳥であり、ことに、池水に浮かみ居るところなれば、これを撃ち取るのは無造作であるが、一時間余りも辛抱して、時期の来るのを待っていたその耐忍に対して、三段の免許を与うべしとて、図らずも優等卒業の光栄を得た。
右様の次第で、かの国の狩猟試験が、日本の剣道物語に伝わって居るがごとく、心の働きに重きを置くという一事は、東西相対して、まことに興味ある行方だろうと思います。
またあるとき、今晩の主人である井上(注・勝之助)侯が、ドイツ皇帝(注・ヴィルヘルム2世か)から、かの禁猟地においてアワーハンスといえる名鳥(注・詳細不明)を狩猟する許可を得たことがある。このとき私は井上侯の随行員として禁猟地に赴きたるに、狩猟長官は私等にむかい、『そもそも、このアワーハンスは、ドイツ領内に五、六十羽のほか棲息せざる鳥なれば、皇帝のほか、これを狩猟することを得ないのである。しかして、その形は、七面鳥のごとく、肩に青き毛を被り(注・肩が青い毛でおおわれ)、尾は孔雀のごとく団扇形に開くもので、かなり大型の鳥ではあるが、その挙動がきわめて鋭敏で、大木の間を飛び回り、容易に人を近づけぬが、ただ、かの交尾期にあたっては、小高きところにとまって、チッチッと鳴いて居る、このときばかりは、かの耳に外物が聞こえぬものとみえ、彼に接近してこれを撃ち取ることができるのである』と説明した。
ここにおいて私は、是非ともこれを撃ち取りくれんと決心し、井上侯と離れて諸処を徘徊する間に、折よくも、アワーハンスを認めて、一発にてこれをしとむることを得た。 ところがその翌日のベルリン(原文「伯林」)新聞紙は、皇帝陛下がかつて他国人に許したことのない狩猟を日本の大使に許されたとて大々的に特筆されたが、このアワーハンスは、はく製として日本に持ち帰り養父高田慎蔵の湯島邸に保存してありますから、そのうち一度ご覧になるが宜しかろう云々。」
高田氏は前記のとおり、ドイツ仕込みの狩猟家なので、以前、伊豆地方で一日に二十八頭の鹿を打ちとめたことがあるそうだが、鹿は百間(注・約180メートル)以内には人を寄せつけず、また、胸先の三寸四方(注・一寸は約3センチ)くらいの、ある場所に命中しなければ、手負いのままに遠くまで逃げてしまう恐れがあるので必ず急所を打たなくてはならない。
かくして、二十八頭の鹿を並べて猟師たちに見せたところ、その鉄砲がことごとく急所に当たっていたので、彼らも舌を巻いて感服したということである。
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