二百三十三 舞踏劇馬郎婦(下巻309頁)
大正五(1916)年、大倉鶴彦(注・大倉喜八郎)翁は八十歳の高齢で男爵への陞叙(注・しょうじょ。位があがること)の光栄をになわれた。この祝賀記念のために、翁は赤坂葵町にある大倉集古館に維持金として五十万円出し、ここを公共に提供されるものにした。
さらに同年の十一月には帝国劇場で大祝賀会を開き、余興に岡本綺堂の新作で三浦大助脚本の三幕物を上演することになった。
その際、時間的な都合から約一時間ほどの女性的な狂言を組み合わせたいというので、私がかつて、たわむれに書き散らした舞踏劇である「馬郎婦(注・めろうふ)」を提供せよ、という懇望があった。このときには、鶴彦翁自身からの会見の申し込みがあったので、ある日会っていろいろ相談の末、帝劇専属の作者である右田寅彦の意見もきき上演することが決まったのである。
この馬郎婦とは本来、三十三観音化身のひとつで、井上世外(注・馨)侯爵の蔵品のなかに李竜眠筆の同図がある。それは手に、ただ観音経を持っているだけだが、ほかに白馬が手綱をつかんでいるポーズのものもあるそうだ。ともかく、美貌をもって衆生済度の功徳を施したという伝説があるもので、あの魚籃観音などとほぼ同趣向のものである。
私は舞台を紀州の那智山に取り、白妙、実は馬郎婦の役を中村歌右衛門に、そして、その相手方の若人、那智丸を松本幸四郎に当てはめて、その他それぞれの役割を定めた。その配役は次のとおりであった。
舞踏劇馬郎婦 一幕
那智山麓の場 滝道草庵の場 観世音霊験の場
一、白妙 中村歌右衛門
一、那智丸 松本幸四郎
一、里の子太郎松 沢村源平
一、里の子次郎松 尾上泰次郎
一、巡礼源内 尾上菊四郎
一、同おくる 松本幸之助
一、木樵与惣 沢村長十郎
一、里の娘田鶴 沢村由次郎
一、天女 森律子
一、同 藤間房子
一、同 初瀬浪子
一、同 宇治龍子
一、同 小原小春
一、同 小林延子
一、同 東日出子
付言、此末段天女の舞は日本歌劇に節付致候
唄〽春の花は、夕の風に誘はれ、秋の紅葉は、朝の霜にうつらふ 合唱〽翠帳紅閨(注・すいちょうこうけい。貴婦人の寝室)に枕ならべし妹と背も 〽いつの世にかは、隔つらん 〽凡そ人間の歓楽は 〽ただ一時の夢の夢。
長唄連中
長唄 芳村伊十郎
三味線 猿若山左衛門
長唄 杵屋六左衛門
同 中村兵蔵
同 中村六三郎
三味線 杵屋新右衛門
同 杵屋五三郎
同 杵屋六一郎
常磐津連中
常磐津松尾太夫
同 志妻太夫
同 弥生太夫
同 鳴渡太夫
三味線 同 文字兵衛
上調子 同 文字助
同 同 菊三郎
管絃楽指揮者 楽長 永井健子
外洋楽部員一同
振付 藤間勘右衛門
この祝賀演劇に私が参加したのは十一月二十七日だったが、山県含雪公も二階ボックスに来観されたので、私はこの劇の作意をくわしく老公に説明した。老公は、女優天女の舞の一節に、「春の花は夕の風に誘はれ、秋の紅葉は朝の霜にうつらふ云々」のところで、しきりにその文意を玩味し、「凡そ人間の歓楽は唯一時の夢の夢」とは言い得てまことによし、と嘆賞されたので、私も大いに面目を施した。
この舞踏劇は、特に祝賀会の三日間に限って演出したもので、俳優がまだ練熟しないうちに終わってしまったので出来栄えはさほど上々でもなかったようだが、このころまでには、例の豊艶にして上品なる歌右衛門の相貌が観音の化身である白妙として申し分なく、幸四郎の若人、那智丸もまた非常に適役で、上流の観客にはかなりの高評を得たのではないかと思う。
この劇の末段は、いわゆる歌劇になっていて、短い文句ではあったが俳優みずからがこれを歌ったので、これが日本における歌劇の最初だったとは言えないにしても、ほとんどそれに近いものであったのではないかと思っている。
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