二百十七 元老の忠勤(下巻249頁)
維新前後の国事に奔走し、ついには明治の新政府を樹立し、国家柱石の重臣として匡輔啓沃(注・きょうほけいよく。君主に助言補佐すること)の大任を果たした元老諸公の、国家と皇室に対する忠勤はいくら思っても言い足りず、またいくら言っても言い尽くすことができないほどに真摯で誠実である。またそれをいつも言動にあらわしていることは、まことに感嘆に堪えない。
なかでも山県含雪(注・有朋)公は、もっとも謹厳な性格であるうえに、大正初期においては元老のなかの首班として、いってみれば托孤(注・もとの意味は、君主が死に臨んで子供を臣下に託すこと)の重責を負うような趣があったので、御大典(注・大正天皇即位式のこと)前後の御補導での苦心配慮は、さぞたいへんなことだっただろう。
公爵が、例の敬虔な態度で私に洩らされた話のなかには、実に次のような一節があった。(注・旧仮名遣いを新仮名遣いに、旧字を新字にあらためた)
「先頃今上陛下より、自分が青島陥落の際に詠み出でた和歌を認めて差しだすべしとの御下命を蒙ったが、自分はその前、すでに自詠を御覧に入れたことがあるから、あまりしばしば聖覧を涜すのも畏れ多いと思って、ことさらそのままに差しおいたが、今度の御大典に当たり、大嘗祭御挙行のことは、もとより容易ならぬ御場合と思考するので、謹んで一首を詠み出で、京都御所にて陛下に捧呈した。その歌は、
大嘗祭を詠みて奉る 有朋
神と君とまことの通ふ時ならし 更けわたりゆくおほなめまつり
というのであるが、大嘗祭は御一代中の大儀なり、御儀式の間は、誠に神と君と、誠の通うべき時なれば、御精神を統一して、滞りなく御儀を済まさせらるるが、神に対せらるる道なるべしとて、自分はこの歌の心を、事細かに奏上した。
さて十日、紫宸殿において、御即位の勅語を御朗読あらせらるるについては、もとより皇祖皇宗に対せられ、また全国臣民に対して、宣せ給う御言葉なれば、一字一句にも御心を籠めさせらるること勿論なりとて、自分は十一月七日、御都合を伺いて、午後四時ごろ拝謁し、右の次第を言上して、親しく右勅語を御朗読あらせるるところを拝聴せしが、いまだ御慣熟遊ばされざるところありければ、さらに今一回、御朗読あるのを見届けて退出した。
陛下にも、定めて五月蝿き(注・うるさい)老爺かなと思召さるることならんが、老臣の勤めは、たとえいかに思し召さるるとも、尽くすべきだけは竭くさん(注・尽くそう)とて、毎度かかる憎まれ役を勤むる次第である。
この前、新嘗祭の際、陛下が神前に祝詞を御朗読遊ばさるるところを、拝聴したしと申し出でたるに、宮内官がこれを遮りて、これは従来秘密にして、式場に列なる者のほかには許されずと言われたから、秘密とて、すでに臣下においてあずかり知る者ある以上は、自分がこれを拝聴し得ざるはずなし、式場参列の者が秘密を保たば、自分もまたそれだけ秘密を保つべしとて、強いて願い出でければ、やがて勅許ありて、陛下より祝詞の御下示があった。
これにおいて、自分は、改めて拝謁の上、陛下が神に告げさせらるる御言葉は、大御心より出でて、神の真心に通ずべきものなれば、一字一句たりとも、御大切に遊ばされざるべからずと、率直に申し上げたが、かくて今上陛下をも、先帝のごとく、堂々たる君上にならせ給うことを祈るが老臣の勤めなりと思い居る次第なり云々。」
さて山県公爵は、御大典の際、京都の無隣庵に滞在して、しばしば陛下に拝謁のうえ、なにくれと所見をも言上し、大嘗祭にも参列するはずであったが、同祭は深夜に行わせらるる御儀式であったため、陛下には公の老体を御懸念遊ばされ、厳命をもって式場参列をやめさせ給うたので、公は当夜、無隣庵にあって、夜更くるまで端座し、敬虔の心をもって御式を遥拝したということである。
これに先立つ五月十四日、私が目白の椿山荘に老公を訪問したとき、公爵は次のような話をされた。(旧仮名遣いを新仮名遣いに、旧字を新字になおした)
「今度、泰宮殿下(注・やすのみやとしこないしんのう。明治天皇の第九皇女で東久邇宮稔彦王の妃になった泰宮聡子内親王)の御婚儀があるので、自分は是非とも参列したいと思って、斯く滞京して居るのである、先帝の内親王中、御婚儀の済ませられざるは、この御一方のみである。他の御姉君方は、御両親御揃いの中に御婚儀があったが、この御一方だけは、御両親御崩御後に、御婚儀を行わせらるるので、陛下在天の御霊も、吾等ごとき老臣の御婚儀に参列するのを、喜ばせらるるならんと拝察して、是非参列しようと思って居るが、これも一つは、年をとった証拠であるかもしらぬ云々。」
以上の含雪公の談話は、皇室に対していかにも親しみの深い、真心から出た忠誠で、その言葉には、せつせつと人を動かすものがある。皇室の重臣たる者は、ただ表面的な政務ばかりでなく、皇室のために、このような心構えを持つことを、私は心から切望してやまないものである。
【箒のあと(全)・目次へ】【箒のあと・次ページへ】
コメント