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二百十六  古稀庵の観楓(下巻245頁)

 山県含雪(注・有朋)公は、大正四(1915)年十一月、京都における御即位御大典に参列後、相州(注・現神奈川県)小田原の古稀庵に帰臥されたが、同二十六日の夜、東京目白の山県家執事石崎氏からの電話で、「ただいま小田原の侯爵より貴下へ御伝言がありましたが、京都は今年紅葉が不出来で、高雄も嵐山も一向、見栄がなかったので、小田原もさだめて同様ならんと思いしに、なんぞ計らん、例年よりもいっそうみごとなれば、散り初めぬ間に一度ご来観ありたしとのことであります」とあったので、「さらばその時機を失わぬよう、明日参候致すべければ、その旨言上、相成りたしと答えおいて、翌日午前八時半、東京を発して国府津に赴き、小田原行きの電車に乗り込んだ。
 すると、ちょうど山県公爵を訪問する石井外相(注・石井菊次郎)ばったり出会ったので、車中でいろいろな雑談を交えながら古稀庵に同行した。
 そのときの石外相の談話の内容は次のようなものだった。(注・わかりやすい表現になおした)
 「昨年七月末に欧州戦争が勃発したとき、自分は英国のスコットランドを旅行していたが、デンマーク(原文「丁抹」)を経てロシアに赴いたフランス大統領と外務大臣が急にパリに引き返したという電報に接し、ただごとではないと直感した。至急パリに戻り、二十九日の朝にフランス外務省に駆けつけ、責任ある当局者から戦争勃発が目睫(注・もくしょう。間近)に迫っている事情を探知し、さっそくヨーロッパとアメリカの両方から日本に電報した。当時ドイツでもイギリスでも極度の外交秘密を保っていたので、この電報が日本に欧州大戦を伝えた最初のものだっただろうと思う。」
 そのほかにも、欧州戦争の最中にフランスが人口増加の必要を感じて、内縁の妻や醜業婦(注・売春婦)の出産児までも救養しようとしたことや、フランス、ベルギーにおいて、国宝美術品を安全地帯に運搬したことなどについての耳新しい異聞を語られた。
 やがて古稀庵に到着すると石井子爵はさっそく公爵と機密談に取り掛かられたので、私はその間、貞子夫人とともに庭園を一巡し、主人である公爵の自負のとおりに今を盛りとしている紅葉を賞玩してから食堂にはいり、侯爵夫妻、石井外相と午餐をともにした。
 そして外相がほどなく辞去されると、公爵は「庭前の紅葉を見て」と題する和歌二首を私に示された。また、先ごろの京都における御大典に関する種々の感想談を語られたが、その委細については別項に譲る。
 私は、古稀庵庭前の紅葉が残らず染まり散り始めてもいないという、絶好の機会に際会し、飽くまで今年の秋色を賞玩することができた眼福に感謝し、午後三時に古稀庵を辞して帰京後、礼状の末尾に次の二首を書き添え老公に寄贈した。

      古稀庵の紅葉を見て
   錦きて昼行く人となりにけり もみぢまばゆき庭めぐりして
 
      同じ折、庵主が歌よみて賜はりければ
   紅葉見てかへる錦の袖の上に 君が言葉の花もにほへり

 さて二十九日になり、主公から届いた書簡には、貞子夫人の歌入りの文同封されており、その文句は次のとおりであった。
  

今日は御来庵被下候処、俗客に遮られ、甚だ遺憾の至りに候、別紙相認め差出候御取帰りの反古は、御返却被下度所願候、不日出京、期面晤可申候、草々不尽
    十一二十七日           古稀庵老有朋
箒庵高橋老兄御座下
 

 今年はあたたけきにや、高雄嵐山の紅葉さへ、いとはえなかりしに、古稀庵にかへり来て、秋の景色に驚きぬ

   野も山ももみぢは色に出ざれど 我庭のみは錦をりなす

   嵐山高雄も秋の色ぞなき 誰にほこらむ庭のもみぢ葉

と詠みて、箒庵主人に、いとまあらば、庭の紅葉見にと促せしに、又の日、庵を訪ひければ、紅葉見つつ語らひて、

   君が見し庵のもみぢ葉あすよりは 散りそめぬともなにか惜まむ
                    古稀庵有朋

                                               

 また、貞子夫人の歌入り文は、

  京都のもみぢ、ことしは、いづこも、色なかりしに、海ちかき古稀庵の庭、めづらしきまで、染めつくしければ、おのれにも歌よみてよと、仰せられければ、
                    貞子 
           
                                            
  名所のもみぢむなしきこの秋を 稀なる庵に錦をぞみる

  はこね山入口まばゆくさしわたり 紅葉にほへり板ばしのさと

  かけ谷のこのまにさしとほり ながれきらめきもみぢにほへり

 
 また時しらずに草花の咲きけるのを

  むらさきのりんどうの花なでしこの 色にまじりて水仙のさく


 なにと、御入筆被下度願上候、なほ御歌御染筆たまはり候やう、御願申上候かしこ

 
 このうちの、含雪公の和歌の「君が見し庵のもみぢ葉」の一首は、公爵の私に対する眷顧(注・ひいきにすること)が、非常に深いことを示されたもので、私にとって無上の光栄である。

 なお、この日公爵が物語られた、御大典前後の感想談は、また別項を設けて記述することにしよう。(注・次項217を参照のこと)
 

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