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   二百六  

法螺丸翁の刀剣談(下巻210頁)

 杉山茂丸翁は、人呼んで「法螺丸」というが、自身もこれを甘受して毎度豪傑ぶりを発揮している。
 しかしながら、他のことは知らないが、その刀剣談についてはまったく真剣で、おおいに傾聴に値するものがある。
 大正四(1915)年三月二十九日の団琢磨男爵主催の山谷八百善での晩餐会に、翁は黒田家から拝領したという相模守正弘作、中身一尺二三寸、文安年号銘の一刀を持参し、これを主人の団男爵に寄贈したあと得意の長講を一席ぶった。(注・一部漢字を新字やひらがなに直したほかは原文通り)

「刀剣は古来、武士の魂としてあるので、これを扱う方法も、研究に研究を重ね、たとえば君侯の前にこれを拝見するときのごとき、ほとんど茶礼に異ならざる作法があるのである。また刀を差すときは、刃を上にして差し、これを見るときも、また刃を上にするのは太平の象(注・しょう。すがた、ありさま)である。
 しかるに、いったん事起こりて、刀を抜かんとするとき、反りを打って刃を下にするのは有事の象で、大将が軍陣に臨むとき、刃を下にして太刀を佩く(注・はく)のもまた同じ意味である。
 日本では古来刀剣をもって武器の第一としていたから、その研究はおおいに進んで、第一鍔元に鍔をつけ、切羽鎺【せっぱはばきを同処に付属するが、この切羽は、多くは銅、真鍮、金などのごとき、鋼鉄とその性質を異にするものを用い、しかもその接続の間に多少の空虚を存するのは、強烈なる打撃に耐ゆる工夫なので、もし日本の刀剣を外国のそれのごとく扱って、鍔先になんらの工夫も施さなかったら、本来堅き銅鉄とて、実戦に臨んで、たちまち打ち折られてしまうであろう。
 また刀を鞘に納むるとき、刀身が鞘の中の木質に触わるれば、必ず錆を生ずるから、刀を鞘に納めきったときには、鍔元において刀の中身が、鞘の中のどこにも触れざること、あたかも魚が水中に浮かぶがごとくに仕掛くるものである。
 この発明は、日本の鞘師が、古来秘法として伝えたものだが、往時刀剣流行の際、もし専売特許というものがあって、その発明を専売にしたならば、その発明者は非常な利益を得たであろう云々。」

 

太郎冠者の舞曲談(下巻211頁)

 太郎冠者とは、劇作家としての益田太郎の雅名(注・雅号)である。大正四(1915)年四月三十日、福澤桃介氏が築地新喜楽において珍芸会を催したとき、太郎冠者は批評家のひとりとして来会し、いろいろな芸評を行った。その中には、そのころから台頭しはじめた、西洋楽器演奏による日本の歌についてや、西洋人から見た日本舞踊の評などもあった。ここで、その断片をあげてみよう。
「日本の舞踊は、従来我も人も、きわめて丸くして、角なきものと思っていたところが、先般、ある米国人が、日本の舞踊を見て、さてさて角立ちたる踊りかな、と評したのを聞いて、はじめて気がついて考えてみれは、日本の舞踊は、一手ごとに、手や足がガクリガクリと行きどまっては、またさらに新しい運動に移るので、見ようによりては、非常に角張ったものと見られぬこともない。

 かのエジプト(原文「埃及」)やインドの踊りが、手振りはかんたんでも、接続点の明白に角立たぬのは、その特長と見るべく、日本の舞踊中、京都の片山流のごときは、一段角張ったものであるが、その角張った踊りを賞揚すべきか否かは、ひとつの研究問題であろうと思う。
 西洋の楽器に合わせて日本の唄をうたうときに、その意味が分明ならずとて毎々不平をきくことがあるが、これは最初より日本の文句に合わせて西洋音曲の節付けをしたのでなく、十中八、九は翻訳もので、たとえば西洋の言葉で「マイファーザー」というのは、三シレブル(注・シラブル。音節)であるが、これを日本の言葉に翻訳すれば、「私の父」というので、数シレブルとなる。このシレブル数の相違のあるにかかわらず、「マイファーザー」と「私の父」とを同じ間合いに唄おうとするから、言葉が詰まって、その意味が聴き取れぬようになるのである。
 されば、日本語で新たに文句を組み立て、その文句に合わせて、西洋音曲の節付けをなせば、今日のごとく意味のわからぬはずはなかろうと思う。
 近来日本では、西洋音楽趣味が普遍する傾きを生じ、第一、学校教育でピアノやヴァイオリンなどを教授するので、西洋音楽がもし男女に耳に慣れて、これをよろこぶことになるのはもちろんであるが、しかし一国の音楽は、楽器のいかんにかかわらず、まったく他国に化し去るものではない。欧州において、彼がごとく(注・あのように)接近する英、仏、伊、独、露、墺の諸国が、各自その国に歌曲を持っているのでもわかる通り、日本においても、楽器にいかんにかかわらず、無論自国の歌曲があるべきはずである。ただ日本の楽器が、西洋の楽器と相対して、日本の歌曲を発達せしむるにいかなる働きをなすべきやは、今後、年とともに決定せらるべき問題であろう云々。」


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