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二百四  後藤伯と福澤翁(下)(下巻202頁)
(注・203・後藤伯と福澤翁(上)からのつづき)

 三宅豹三氏の後藤(注・象二郎)伯爵と福澤翁に関する談話は、これよりいよいよ佳境にはいり、それまで私などがおぼろげながら聞いてきた事実を明らかにしたことも少なくないので、ここに継続して記すことにする。

 「後藤象二郎伯は福澤先生と内々協議の末、明治二十八年秋、天機奉伺(注・天皇にご機嫌伺いをすること)として広島の行在所に赴いたその時は、李鴻章が講話談判のためにまさに日本に来たらんとする直前であったから、伯は、右講話に関して所見を述べ、土方(注・久元)宮内大臣を経てこれを聖聴に達した。
 その趣旨というのは、講和条件として日本はまず京釜鉄道を納め(注・この時点で京城釜山間の鉄道はまだ敷設されていない。鉄道建設の権利を手中に納めるという意味)、これを延長して、鴨緑江に達する権利を得ること、最高顧問を朝鮮に派遣して内大臣兼侍従長たらしめ、日本公使のほかに独立の顧問府を立つることであった。
 この献策は早くも朝鮮側に聞こえたので、親日派の朴泳孝、兪吉濬(注・ユ・ギルチュン)が、いわゆる最高顧問を日本より迎えんがため、さっそく来朝して福澤先生を訪い、何人がその顧問に適当なりやと問われたのに答えて、先生は後藤象二郎伯が最適任者であると言われたので、朴泳孝らは、さらに後藤伯を訪いて朝鮮の最高顧問たるべく懇請したれば、伯の悦び大方ならず、かくてこそ象二郎も、はじめてわが死処を得たとて、慨然として(注・心を奮い起こして)これに任ずるの考えがあったが、一方広島のほうでは、後藤が最高顧問となって公使以上に働くようになったらいかなる椿事をしでかすかもしれぬとて、井上馨侯を公使として朝鮮に遣わすことになったので、後藤伯最高顧問の画策はまったく水泡に帰したのであるが、井上侯が朝鮮公使となり、三浦梧楼子(注・子爵)がその後を継いで、ついにかの王妃焼殺し事件(注・閔妃殺害事件のこと)が勃発するに至ったその経過を傍観していた後藤伯は、さだめて感慨無量であったろうと思う。
 僕は、最初後藤伯の秘書役をしていた井上角五郎の後任として、明治二十四年より三十二年までの間、後藤伯に仕え、家族同様に暮らしていたが、それ以前、福澤の玄関番をしていた時と後藤の秘書役となった時と、家庭の状態が全然反対であったのには実に驚かざるを得なかった。
 先生の家は御承知のごとく、いたって静粛で行儀のよい習慣であるのに、後藤の家ときては、奥さんが吸付たばこを後藤さんに渡せば後藤さんがよろこんでこれを受ける、富貴楼や武田家などいう茶屋の女将が、始終いりびたっている、五代目菊五郎をはじめ、知名の俳優連が繰り込んできて、歌をうたうやら、歌留多を闘わすやら、その乱暴狼藉は、言語を絶するほどであった。
 そのうえ後藤さんは、非常な贅沢者で、食膳には、いわゆる山海の珍味を集むる流儀であったから、たまたま福澤先生に招かれて、その御馳走にあずかることは非常な迷惑なのであるが、後藤さんは先生に対しておおいに勉め、先生は談話が長くなると無遠慮にあぐらをかいて話さるるが、後藤さんは厳格にきちんと座ってその話を聞くというようなありさまであった。
 ある時、福澤先生が突然、後藤さんの家を訪われると、後藤家ではソラ、先生が来たとて目ざわりの者を片づけたが、ボーイが花札を戸棚の上に置き放しにしてあったのを先生が見つけて、これはなかなかお楽しみでありますな、と言われたので、さすがの後藤さんも非常に赤面したなどという珍談もあった。
 先生はおりおり、芝浦にあった後藤の妾宅を訪わるることもあったが、そのときの御馳走は、松金の鰻と定まっていた。ところが後藤さんが福澤のほうに行くと、常食の麦飯を出され、ある夏、食後に氷と鉋(注・かんな)を木鉢に入れて出されたが、先生はその鉋で氷を削って砂糖を振りかけて後藤さんに出されたので、自宅ではアイスクリームを食べて、世の中に氷を生で食べるほど野蛮なことはないと言っておらるる後藤さんが、どんな顔をして氷を食べたろうかと、大笑いをしたことがあった。
 後藤さんと福澤先生とは、かような性格の違いがあったので、あるとき後藤さんが福澤先生を評して、中上川の姪(注・福澤の姪で中上川彦次郎の妹の澄子)を、不男なる朝吹英二にめとらせたら大切にするだろうと思ったところが、この朝吹が大道楽者で、おおいに当て違いをしたこと、それから、平常、養生ということを口にしながら、ときどき河豚(注・ふぐ)を食わるること、娘さんを大切にするというので、その言うがままに任せておくこと、これが福澤の三失策であると言われたことがある。
 かく性格の反対した両雄が意気相投合したのは不思議なことで、その間に奔走してこの有様を目撃した僕は、一種の奇観として少なからず興味を感じた次第である。」


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