二百一 「実業懺悔」著述の由来(下巻192頁)
私は、前述(注・197)したように、大正三(1914)年に「がらくたかご」を著述した。そして、一年をへだてた翌年の四月に、さらに「実業懺悔」と題する新著を発刊した。これを著述したのには次のような由来がある。
人は、生から死にいたるまでさまざまな境遇に出会うもので、短い時間のあいだに波瀾の多い急流を漕ぎまわるようなことがあるかと思えば、比較的長いあいだ平々坦々な単調な境涯を過ごすこともある。人物の賢愚にかかわらず、大なり小なり、みな自分の歴史を持たぬ者はない。蟻のような小さな虫であっても、もしもその履歴を語り得るならば、一匹一匹みなその経歴談があるはずだ。
おりよく獲物を探り当てて贅沢に冬ごもりしたこともあろう、あるいは人間という怖ろしい動物の足下に踏みにじられて九死に一生を得たこともあろう。頼りにしていた木陰に大雨が漏り、ノアの洪水を思い出すような惨状に遭ったこともあろう。あるいは一片の木葉舟に取りすがって、あやうく水溜まりを乗り越えたこともあろう。
蟻ですらこのとおりさまざまな経歴があるのだから、ましてや人間においてをや、である。たいていなら、より以上の苦楽、吉凶、得意、失意があるのではなかろうか。
下司の智恵はあとから出る(注・愚か者は、必要なときによい考えが出ず、あとから思いつく、の意)というとおり、振り返って己がなしたことを考えて、ああでもあるまい、こうでもなかった、と毎度後悔することが多いのは、十人が十人たいてい同様だろうと思う。
故中上川彦次郎の談に、こういうものがある。「サンフランシスコあたりの大成金者が、生前に自伝を書かせて知人に贈ったとき、ある知人が、『君は非常な幸運者であるが、もし君が今一度生まれ変わって同じ世の中に出たならば、どうするか』と聞いてみた。すると成金先生は、『拙者は何度生まれ変わっても、同じことを繰り返すつもりである』と答えたそうだ。およそ人間にうぬぼれということがあっても、まずこれほどのうぬぼれはないだろう。もしこの人が痩せ我慢でなく、真実このように思ったのなら、天下でこの人ほど成功した人はなく、また幸運な人はなかろう」と言われた。
なるほど、これは、中上川氏の言われるとおりであろう。古往今来、幾多の英雄豪傑があるやら知らぬが、ためしにその心事を尋ねてみたら、あのとき、ああもしたらよかったろうと、あとから悔しがることが数々あるだろうに、その生涯を顧みて、みずから完全無欠であると満足する人は、じっさい非常に少ないだろうと思う。
さてわたしは、ふとしたことで実業界にはいり、碌々として(注・ろくろくとして=何もしないまま)二十一年間この社会の厄介になったが、振り返って考えてみると毎度失策だらけである。もし私に多少の悟道心もなく、私が、死んだ子の齢を数えるように、いたずらに後悔するような人間であったなら、残念残念と百万回繰り返すことだろう。しかし私は、実業界にあったとき、初めから大きな成功を期していなかったので、いまさらその成功について語ることはもちろん、その失敗を語ることさえあまり気乗りがしないのである。
しかしとにかく、この社会にはいって働き盛りの二十一年間を消費したからには、そのあいだにいかなる仕事に当たったか、いかなる人物と接触したか、いかなる経験をし、いかなる感想を抱いたかということを叙述し、それを読む人に多少の参考資料を提供するのも、あながち無意味ではないだろと考えたのである。この間における私の一切の行動と自信とは、次の一首に言い尽くされている。
なしし事拙なけれどもかへりみて 疚しからぬがうれしかりけり
さて、「実業懺悔」を刊行するにあたって、私はこれを、日本の外国貿易創設者であり、また三井財閥の中興の元勲である私たちの先輩、益田孝男爵に内示した。すると男爵は、私のために懇篤な序文を執筆して寄せてくださった。その中に次のような一節があった。(注・旧字を新字になおしたほかは原文通り)
「明治の実業界に於ける高橋君の功名は、事珍しく吹聴する迄もなき事ながら、予が最も感服したるは、君が三井銀行より同呉服店に転じ、所謂越後屋伝来の商売に大革命を加へたるにあり、昼尚ほ暗き土蔵作りの店舗に、十数名の番頭が、火鉢を左にし、掛硯を右にし、大算盤を膝にし、客の註文を聞きては、小僧を呼んで品物を持ち来らしめ、一客又一客、繁雑窮りなく、時間を空費すること、程度を知らざる旧弊を一掃し、店舗全部を開放して陳列場となし、客の好む所に従って選択するに任せ、自他共に愉快にして便利なる商売と為したるは、実に君が新工夫にして、破天荒と云はざる可らず。三井呉服店が気運に乗じて、今日の『デパートメント・ストア』を成したるは、爾後日比翁助君等の経営に俟つこと多しと雖も、其端緒は高橋君の創意によりて拓かれらるなり。而して独り三越のみと云はず、白木屋、松屋等の老舗も、遂に全く面目を一新するに至れり。此他幾多の実務に於ても、亦忙中の余技に於ても、君が新意匠に感服したること屡々なりき、爾後君は三井鉱山会社の理事と為り、次いで又王子製紙株式会社の業務を担当し、到る処好印蹟を留められたりと信ず云々。」
益田男爵の序文における過褒は、あえて当たらずといえども、知己の言としてありがたく頂戴した。
私は、まだこのほかにも感じるところがあり、「水戸学」という一著も著述したので、ついでながら項をあらためて、その趣意を告白することにしよう。(注・「水戸学」著述については218~220を参照のこと)
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