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百九十六  正金銀行創設の経緯(下巻175頁)

 正金銀行の最初の頭取である中村道太氏から、私が例の福澤先生事歴談を聴取した折(注・193を参照のこと)、正金銀行の創設経緯に関する話も聞かされた。このような談話には、幾分自慢話が伴うものなので多少の割引を要するかもしれないが、おおむね事実とたがわない以上これを全部葬り去ることは忍び難いので、次にその大要を記してみることにする。(注・わかりやすい表現にかえた)

 「自分は三州(注・三河国)豊橋、松平伊豆守の藩士で、万延元(1860)年に江戸に出て、奥平藩邸に先生を訪問したのが先生との交際のはじまりです。それ以来、先生と私のあいだにはいろいろな交渉がありますが、そのことについては別の機会に譲ります。
 明治九(1876)年、私は日本にひとつの特殊な銀行をつくりました。平常は正金(注・貨幣、現金)を蓄え置き、万が一の(原文「一朝」)非常事態に備え、わが国の経済の根本を動かさないようにしなければならないと考えついたので、関根正直氏に依頼して漢文で意見書を書かせた。
 これが今の正金銀行の創設意見書で、福澤先生もこれを見て、しごくもっともだと言われました。
 しかし当時は実行の運びにいたらず、私はいったん郷里に帰り何か国家のためになるような機械を製作しようと専念していた。
 明治十一(1878)年になって、先生からの手紙で、かの正金準備銀行の意見が実行されそうだから至急上京せよ、とあったので、さっそく上京してみると、先生は今夕大隈を訪ねる予定なので一緒に来いと言われる。そこで三田から人力車で雉子橋(注・現千代田区役所の場所)の大隈邸を訪問し、三人鼎座して相談を始めた。
 そのころの福澤、大隈らは、ずいぶん乱暴な口のききようで、先生が、そんな馬鹿なことを言うな、などと言えば、大隈さんが口をとがらして怒り出すというような非常に元気のあるものだった。
 さて、結局の話であるが、資本金を三百万円とし、二百万円を民間から募り、百万円を政府で引き受けるということになった。民間では福澤先生の懇意であった堀越角次郎に話をし、横浜では私の懇意だった木村利右衛門に相談し、政府のほうは大隈さんが斡旋するということになったが、資金募集は案外順調に進み、横浜のほうでは木村が百万円を引き受けると言い、東京では安田善次郎氏が同額が受け持とうと言い出した。
 そこで、十一年末から、正金銀行の定款を作り上げ、十二年一月に開店して私が最初の頭取になったのである。
 ところが明治十四(1881)年、例の政変で大隈さんが退職することになったので、政府筋から私にも退職せよと言われたが、私はきっぱりと踏みとどまっていた。
 十五年になり、松方さんは大蔵省から検査官を派遣し、何か私の落ち度を見つけようとされたが、それ以前に本行には大蔵省の監督官が出張しているので、いかに探究しても免職の理由がなく、松方さんもおおいに窮してとうとう嘆願的に出てきたから、私はついにこれに応じましたが、福澤先生が承知せず『中村をやめさせるとは言語道断なり』といって、滔々とその不法を論難した文書を発表された。これが私にとっては有難迷惑で、その後思いもよらぬ迫害を一身に引き受けるよう始末となった。
 さて当時、私の保有株は二千株あり、そのころ百円株が八十円くらいだったから、福澤先生は私にその株を政府に返還せよと申されましたが、一年ばかり経つ間に、正金株が非常に騰貴して、払込の百円になり、さらに進んでその倍額の二百円に達したので、先生はしきりにこれを売却せよと言われました。しかし私は、『この株は三百円になりますから、これまでは頑として持ち耐えます』と言い張り、ほどなく原六郎氏が頭取になり三百円の値が出たので、私はこれを売却して借金を引き去り、手取りで三十七万円を得て、正金と完全に絶縁することになったのであります云々。」

 中村氏はなにごとにも器用で、商売の思想に富み、維新前には美濃人の早矢仕有的と相談して横浜に薬種店を開き、はじめてアメリカからキニーネを輸入したというような経歴もある。
 幕末に世間が物騒になり、茶釜の値段が下落するとすぐに、地金として茶釜の買収しようという相談を福澤先生に持ち込んだこともある。
 また、簿記に長じて、文部省の七等出仕となり、医科大学に簿記法を教授したというような履歴もあるなど、さまざまなアイデア(原文「工夫」)に富んだ人であったが、正金銀行頭取を辞職後、鉱山業で惨敗してからは再び盛り返すことができず、大正初年に私がこの話を聞いたときには、赤坂溜池にわび住まいをして茶道の教授をしていた。老後になって陋屋に隠棲しながら屈託の色を少しも見せず、雄弁滔々として懐旧談を物語られたのは、なにはともあれ、一種の人物であると見受けられたものだった。


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