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百九十二  水戸武公(注・徳川治紀)遺戒の報告(下巻161頁)

 大正三(1914)年八月十三日箱根小涌谷三河屋における私と渋沢(注・栄一)子爵との会談では、徳川慶喜公と子爵の遭遇について、そして、その感想が大部分を占めた。(注・191「徳川慶喜公に関する史実」を参照のこと)
 子爵が維新の直後にフランスから帰国したとき、とりあえず公が謹慎していた静岡の宝台院に伺候すると、薄暗い行燈の下で、公が悄然として座っているありさまに、なんとも慰めの言葉も出ず、世には神も仏もないものかと男泣きに泣いて次の一首を作られたそうだ。

   維新偉覓無痕 抉剔相穿未鉤玄 公議与論知何用 千秋誰慰台冤魂

 しかし、公の忠誠で高潔な心事はようやく天下に知れ渡り、いわゆる至誠人天に通じて、薨去の際には世間一般から深い哀悼の情が寄せられことから、さらに次の一首を詠じたということである。

   嘉遯韜光五十春 英姿今日去成神 至誠果見天人合 不問盛名喧四隣
 
 このとき渋沢子爵は、座右にあった机でこの二首をありあわせの巻紙にしたため拙作ですと謙遜して私に下さったが、子爵は筆を持つとき親指を曲げず、まっすぐに突き出して一字一字ていねいに書き終えられた。このような座興の執筆にも軽率な様子がまったくなかったことは、例の綿密な天性によるものであろう。
 さて、私は前項(注・191に記したとおり、この会談の中で水戸武公(注・水戸藩七代藩主徳川治紀)の勤王に関する遺戒を渋沢子爵にお知らせすることを約束したが、それから多忙に取り紛れてそのままになってしまっていた。しかし同十一月十日になりようやくそれを執筆して、すぐに子爵に廻送した。その文言は次のようなものであった。(注・旧字を新字になおしたほかは原文どおり)


 拝啓仕候、去る八月中、箱根小涌谷に於て拝芝(注・はいし。面会)の節、水戸武公の勤王に関する遺戒をお目にかけ候様、御約束致候処、右遺戒と申すは、武公が自から認められたる者には無之、水戸の儒臣青山延于の著述したる武公遺事中に、左の一節有之候事に御座候。

 公は御平生、朝廷を殊の外御崇敬被遊けり、或る時、景山公子(注・武公の子、烈公斉昭)へ御意遊されけるは、たとへ何方の養子と成候とも、御普代大名へは参り不申候様に心得可申候、普代は何事か天下に大変出来候へば、将軍家にしたがひをる故に、天子にむかひ奉りて、弓も引かねばならぬ事也、これは常に君としてつかうまつる故に、かくあるべき事なれども、我等は将軍家いかほど御尤もの事にても、天子に御向ひ弓をひかせられなば、少いささかも将軍家にしたがひ奉る事はせぬ心得なり、何ほど将軍家理のある事なりとも、天子を敵と遊され候ては、不義の事なれば、我は将軍家に従ふことはあるまじと仰せられければ、公子左様に候はば、公には常々将軍家を御敬ひ遊され候て、毎月の御登城をもかかせられざるは、何故にて候と仰上られければ、御意に将軍と云ふは、天下の政を執られ給ひて、日夜御こころのひまなき故、下民も其徳に服したてまつりて、一人もしたがひたてまつらざる者なく、大名なども一人にても服さぬ者はあらず、しかれば、漢土などに候へば、革命にもなるべき勢ひもあらせられ候へども、天子をば御うやまひ奉るなりと御意遊されたり、又御意に我等かく存候ても、天子に向ひたてまつりては、弓をばひかぬ心得なれば、子供にも其心得にて、普代大名の養子とはなるまじきことなりと、御意遊されけると也。

 御承知にても候はん、青山延于先生は、藤田東湖の実父幽谷先生と相並んで、水戸の宿儒に有之、彰考館総裁をも相勤め、且武公に昵近致し候人なれば、前件記事は固より確実の事と存ぜられ候、又右武公遺事に、

公或る時仰せられ候は、新井白石制度を改めて、百官も衣冠にて出仕する(注・徳川幕府に)やう建議ありしかど、其儀止みて、関東の幸なり、若し其通りになり候はば、平将門(注・「新皇」を自称し朝敵となる)のやうになるべしと仰せられけりとぞ。

と申す一節も有之候、案ずるに、武公が斯かる言説を反覆(注・繰り返す)致され候は、当時高山彦九郎、蒲生君平など、王覇の名分論を試みて、隠然王政復古の気焔を煽り候時節に就き、公武の間、一朝危機に迫り候やうの場合なしとも言ふ可らず、其際水戸徳川家をして、方針を誤らしめざるやう、義公(注・水戸藩二代藩主徳川光圀)以来伝家の本領を、景山公子に訓戒し置きたるものと被存候、然るに烈公(注・徳川斉昭)時代となりては、形勢も愈々差迫り候故、烈公が慶喜公に対して、先般御話の如き訓戒を垂れられ候は、誠に当然の成り行きと存ぜられ候、武公は水戸藩祖威公より七代目の藩主にして、諱は治紀、字は徳民、鶴山と号し、安永二年十月二十四日誕生の君侯に御座候。」

というのが、私が渋沢子爵に対して申し送った書簡の大要であった。


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