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百八十四 大倉鶴彦喜寿狂歌集(下巻130頁)

 大倉鶴彦喜八郎翁は維新の前から実業方面で活動し、粒々辛苦して最後には当代随一の富豪となったという経歴を持つ。言うまでもなく、まさに立志伝中の人である。
 少壮時代から余裕しゃくしゃくと一中節をたしなみ、六十の手習いで光悦流の書家になった。また狂歌を好み独特な感吟を連発するなど、その余技においても色々と伝えられていることが多い。
 大正二(1913)年、翁が七十七歳になるとき、喜の字の祝いとして狂歌募集の趣意書を発表した。七月十九日がその締め切りだったが、その趣意書というのは次のようなものだった。(注・よみやすいように少し手を入れてある)

 「天に七曜の輝きあれば、地に七宝のうつくしきあり、人に七賢の洒落者あれば、鳥に七面鳥の替りものあり、神に七社、仏に七堂伽藍の具はるあり、義礼の整ふ七教七経七書の七面倒なるは暫く措き、七音七情は人学ばずして之を能くすべし、おのれ七歩の詩才なきも、歳七秩を越えてまた七年、七ころび八起きのあしたの心やすく、質の心配もなくて、七十七度くり返す、七くさ粥のたび重り、ここに目出度喜字の齢を得たり、乃ち四方の風流男みやびをに請申て、七の字に因る兼題十七首を撰み、狂歌の雅会に無邪気の興を催し、共に聖代を楽しみ、太平をうたはんとほつす、冀(注・乞い願わく)は、大かたの歌人、七わたの玉の言の葉、あまた寄せたまはん事を、七重のひざを八重に折り、七くどくもねきまうすになむ。
  大正二年初夏       
和歌廼家あるじ 鶴彦

                                                  

   兼題
七福神 七曜 七里ヶ浜 七面鳥 七本槍 
七堂伽藍 
七騎落 七夕 七不思議 七賢人 七草 七小町 
七変化 
七五三祝 七色唐辛子 七里法華 七ころび八起

      撰者 澤の屋青淵
         和歌の屋鶴彦

 
そこで私は、兼題の中から五題を選び、次のような駄句を寄せた。

    七夕
  飛行機を見て彦星のひとりごと 今年はあれで天の河原を

    七騎落
  八騎では不吉とかつぐ大将も 八幡殿の末と知らずや
    
    
七福神
   六福のにこりにこりを弁天へ 御世辞笑ひと見たは僻目か
  (注・萬象録では「御世辞きらひ」)

    七賢人
  七けんにいざ言とはむ御別荘 時に藪蚊はありやなしやと

    七ころび八起き
  七ころび八起きを十たびくりかへし 七十七となれる鶴彦
 

 鶴彦翁の狂歌は、天性の流露にまかせて連発する流儀で、これという師匠がいるわけではないが、上州伊香保出身の、俳号を文廼家といった松村秀茂老を相談相手にしていた。非常な速吟家で、巧拙はさておき、即座に何首でも連発するというやり方である。しかも持って生まれた歌才で、時によって秀逸なできのものを吐き出すこともある。独特の大胆不敵な言い回しの中に鶴彦式のおもしろみがあった。
 さて同年十月二十七日には、帝国劇場で盛大なる喜寿祝賀会を催し、幸田露伴氏の新作「名和長年」、および私の作詩、平岡吟舟作曲の東明流「那智丸」の歌劇を興行した。

 その日に翁が来賓に配られた扇子には、

  老ぬとも思はぬうちに梓弓 八十路に近くなりし鶴彦

と書きつけられた。
 当日は、衆議院議長の大岡育造氏が祝辞を演説されたが、そのなかには次のような一節があった。(旧字を新字に、旧仮名遣いを新仮名遣いになおした)

 「大倉氏の祖父某は、越後新発田の産で、商売をもって一家を興した人物であるが、その没後、頼山陽が執筆した碑文には、大倉氏が新発田のごとき僻邑に一生を過ごしたのは、誠に惜しむべきことである、彼がもし大都会にあって活動したならば、さらに観るべきものがあったであろう、と述べている。しかるに、今や、その孫たる鶴彦翁が、東京において赫々たる(注・かっかくたる。華々しい)成功を告げ、さらに海外にまで発展し、シナ満州などにおいて、種々の事業を経営しているのは、よく乃祖(注・ないそ祖先)の志を成し、いわゆる身を立て父母を顕したものである云々」

 これはいかにも、事実その通りである。
 また、翁の、あるときの述懐のなかに、

  わたり来しうきよの橋のあとみれば 命にかけてあやうかりけり

という歌があった。後年、山下亀三郎氏が、私の家でこの歌の記念額を見て、自分の経験からもおおいに感じ入るところがあったとみえ何度も感吟して「実にしかり、実にしかり」と讃嘆した。両人の経歴が似ていたためであろう。私はこのとき山下氏を見ながら、名歌は天地を動かし、鬼神を感ぜしむるというが、君のような鉄骨漢を感動させる鶴彦翁の狂歌は、さてさて偉いものであるなと言って一笑したのである。

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