百六十三 明治天皇御宸翰(上)(下巻56頁)
明治天皇陛下は、御書道についてはふだんからお考えががあったようで、あまり多くの御宸翰(注・天皇の直筆の文書)を残されることがなかった。
私は明治四十四(1911)年、大正天皇陛下がまだ皇太子にましまして北海道を御見学になったとき、その下検分のために王子製紙会社の苫小牧工場に来臨された子爵藤波言忠氏と一晩ゆるゆると清談を交わした。そのときに子爵が明治天皇陛下から特別に御短冊を賜ったときのことをきかせてもらい、いつかそれを見せていただく約束をした。
その後子爵は明治天皇御記(注・「明治天皇紀」のこと)編纂事業に関与し、大正六(1917)年四月七日、向島の水戸邸を訪問され、かの「花くはし」の御短冊(注・明治8年に徳川昭武邸を訪問したときの「花くはし桜もあれどこの宿のよよの心を我はとひけり」の短冊。116「明治大帝御製」を参照のこと。)を拝見して、宸筆であることは間違いないだけでなく、特にすばらしい出来栄えのものだと讃嘆された。
その翌日の午後、私は麻布飯倉の子爵邸を訪問し、以前からの約束もあるのでご所蔵の御宸筆を拝見したいと申し入れたところ、子爵は非常に気の毒がり、御宸筆は万一の危険をおそれて他の安全な倉庫に預けてあるので今日お見せすることができないということだった。しかし子爵は、この御宸筆を賜ったいきさつをさらに詳しく話してくださったので、すこし時間的には先になるが、その話の大要をここに披露することにしよう。(注・旧仮名遣いを新仮名遣いに、旧字を新字にあらためた)
「自分は広橋胤安の子で、祖父を広橋大納言光成といったが、やや長じて藤波家を相続することになり、明治元年、賢所付きとして京都より東京に移り、同六年明治天皇の御学友に召し出され、爾来、宮内省の諸職に歴任して、ことのほか御寵遇を蒙り、御内儀にも出入りする身分となった。かつて聞くところによれば、亡父胤安は有栖川流の書道を究め、孝明天皇の御命により有栖川幟仁(注・たかひと)親王が明治天皇の御書道教育の任に当たられたころ、父は親王の仰せを受けて、明治天皇の御手を取りて、以呂波を御手ほどき申し上げたことがあるというので、あるとき自分は陛下に対して、このことを伺い出でたるに、朕は自らこれを記憶せざれども、中山一位局(注・明治天皇の生母、中川慶子)などより、たしかにさることありと聞き伝えていると仰せられたので、明治十年ごろであったが、ある夜陛下が、表御所において御酒宴の席上、御機嫌ことにうるわしかったので、自分は再びこのことを申し出でて、父が以呂波を御手ほどき申し上げたる御縁もあれば、何にても一筆書き下し賜われかしと願い上げたるところが、陛下は暫時御考え遊ばされたのち、はや御製のできあがりたりとおぼしく、さらば書きて遣わすべしと仰せられたので、とりあえず女官に短冊を乞いしに、これを預かる者が、既に御局に下がったというので、やむなく皇后陛下の御座所にまかり出で、一枚の短冊を拝領して、有り合う硯箱とともに、陛下の御前に差し出せば、陛下は筆取り上げて、左の御製を物し賜うた。
かけ渡す板間も広き橋の上に 色あらはして咲ける藤波
と、広橋と藤波とを一首の歌に詠み込ませ給うたのは、自分の身に余る光栄とて、ありがたく御短冊を頂戴して、大切に秘蔵しおる次第であるが、このほど、水戸徳川家に賜った御短冊を拝見すれば、彼はまた格別の御出来で、墨黒々と立派に御したためあり、ことに桜という字など、畏れながら、もっとも見事な御出来なるのみか、歌も徳川家にとりてはたとえ難なき光栄で、他に比類あるべしとも思われず、自分拝領の短冊は、御即興にて渡らせらるれば、墨色も薄く、水戸家のとはいささか相違するところがある。自分が拝見した陛下の御宸翰にては、水戸家に賜った御短冊が、畏れながら、もっとも優秀なるものと拝察し奉る。また陛下は御思し召しあって、多くの宸翰を留めさせられず、平常国風の御詠は、諸省より奏上の状袋裏に御下書き遊ばされたのを、税所(注・税所敦子)、小池(注・小池道子)など、和歌に堪能なる女官に拝写せしめ終われば、その草稿を御前にて寸裂するを常とし、年々の新年の勅題御製、および招魂社の勅額は、無論御宸筆であるが、臣下に賜ったものは、三条家に御短冊一枚あり、岩倉家には明治三年、島津、毛利の一致協同を、岩倉具視公に取り計らわしめんとの思し召しを伝えたる宸翰あり、これは同時に島津、毛利両家へも勅諚ありしものだが、御宸筆はただ岩倉家の分のみである。このほか同家には三回御臨幸があったので、その中にいつか庭前の景色を詠み出で給うた御短冊がある。このほかには中山一位局に賜った御短冊が一枚あり、また徳大寺(注・実則さねつね)公が御筆の大字を所蔵せらるるやに聞き及ぶが、自分はいまだ拝見していない、その他には自分が拝領したのと、水戸家に賜った御短冊のほか、御宸筆は絶無といってもよろしかろうと思う。」(注・次ページにつづく)
【箒のあと(全)・目次へ】【箒のあと・次ページへ】
コメント