百五十一 茶道記と萬象録(下巻10頁)
私は明治四十五(1912)年の初めから閑散の身(注・仕事がなくひま)になると、第一に茶会記録を作ることを、第二に感想日記を書くことを思い立った。
茶会記録を作ろうとした動機であるが、明治時代も四十四年を過ぎ、今や、いよいよ文化の熟欄期に入ろうとしているのだから、文学、美術、工芸、茶事風流の諸道も今後一層、複雑で込み入ったものなっていくだろう、そのようなときに、その方面に直接関わりを持つ者がその実状を記録しておいたならば、後世から今日を観察しようとする者のために、きわめて有力な材料となるだろう、ということだった。
私自身が桃山時代の茶道文化を研究しようとするとき、当時の太閤秀吉を中心にした英雄豪傑や、利休を囲む茶道宗匠の行動を詳細に記述したものがあったら、どんなに面白い歴史的な好資料になっただろうと思うのである。たまたま茶人の手で書かれた簡単な記録でさえも、それが実際を目撃した者の筆になったものであれは、当時の情景を想像するのに非常に便利なものであることは、博多の茶傑、神屋宗湛の「宗湛日記」にある天正十五(1587)年正月三日の大阪城大茶湯の記事などがその好例である。ここからは、太閤みずからが大茶湯を指揮している情景を、眼前に実際に見るようにうかがい知ることができるのである。
私たちが今日過ごしている明治の時代にも、後世から振り返ってみたら太閤時代にひけをとらない人物が大勢いる。特に、茶人は知識階級に属し一代の風雅を背負って立つ人が多いから、これらの人々に関する実写的な記録を作っておいたら、後世の人が現代の半面を想像することができるにちがいない。その上に、この茶会記によって、すこしでも茶道の興隆に寄与するところがあるならば、まことに望外の幸せであると思いついたのである。そこで、二月初旬(注・明治45年)から茶会記録に着手することにした。
最初は「東都茶会記」と題し、その後「大正茶道記」と改め大正十五(1926)年までずっと時事新報に掲載し、昭和二(1927)年以降は「昭和茶道記」と改題して、昭和七(1932)年六月まで国民新聞上で継続し、合計二十一年間分を記録したので、のちの人がこの間の消息を知るのに多少は参考になるだろうと思う。
第二の感想日記であるが、それは明治四十五(1912)年の五月中旬から執筆し始めた。
私の考えでは、時代の事相というものは映画のように日々目の前に展開していくが、その幻影が去ってしまうと、もうそれを留めておくことがことができない。実際を目撃した者がそれを記述しておかない限り、後世の人がこれを後追いすることはできないのである。そこで、日々の事相をありのままに筆記して当時の実況を知らせることは各時代を通じての学識者のつとめだと言えるはずだが、日々見慣れ聞き慣れた事柄は、そのときには別に珍しいと思わず、わざわざ筆記しておくほどの価値もないだろうと思ってこれをなおざりにしてしまうのが、いつの時代にも起きてしまう弊害である。
ここで、ある人が日々見聞した事実を採録しておいたならば、その人の地位や見識次第で、その記事が事実に対する証拠となる。現時点ではそれほど重要視されることはなくても、後世には、それがその時代を判断する得難い指針(原文「金科玉条」)にならないとも限らない。それが、各時代の目撃手記が大切な理由なのである。
しかし文筆が達者な人は見聞に乏しく、見聞に富んでいる人は文筆がつたない。昔から、そのような記録を後世に伝える人がきわめて少ないということを、私はいつも遺憾に思っている。
近代にはいってからは新聞や雑誌が盛んに発行されて、日常的な全般について報道するようにはなっているが、これらの記事がすべて事実の真相を伝えているかどうか、という問題もある。中には思惑があって事実を曲げて書かれることがないとは限らないから、これによって時代の真相をうかがおうとするのは非常に危険である。公平で思慮のある目撃者による感想日記が必要なのは、そのためなのである。
私は以上の趣旨で感想日記を書き始めた。普通の日記のように、気温、天候、生活一般、手紙などの音信や人の訪問について記すだけでなく、学者、政治家、実業家、文筆家、芸能人と会ったときの談話内容や、そのほかにも目に触れ耳に聞いた事柄について何から何までその中に書き記したので、これを「萬象録」と名づけた。明治四十五(1912)年五月から大正十(1921)年六月までの足かけ十年間これを継続したが、その日記が山のように大きくなり、ほとんど背の高さと変わらなくなってしまったので、せっかくこんなに骨を折ってもこれを読む人がいないに違いないと思い、本録についてはこのときで絶筆することにし、以後は普通の日記をつけることにした。
茶会記のほうは毎年まとめて刊行してきたが、萬象録のほうはむろんそのままになっており、いつかどこかの図書館に寄託して、砂の中から金を拾おうとする好事家の材料にしてもらおうと思っている。
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