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百四十六  王子製紙の二年半(上巻506頁)


 私は明治四十二(1909)年の秋、三井を代表して王子製紙会社社長に就任することになった。そのいきさつを記す。
 明治四十(1907)年、益田孝男爵が三井三郎助(注・小石川三井家高景)とともに欧米諸国を巡回して商業大家の情勢を調査し、帰国後に三井営業店の組織変更をすることになった。その結果、人員のやりくりの関係で、それまで三井鉱山理事だった私が、王子製紙会社の社長に任命されたのである。
 そもそも王子製紙会社は、明治初年に政府の事業として成立している。その後、日本の新興事業の発展に全力を注いだ渋沢栄一子爵が継承し、谷敬三氏を社長に、大川平三郎氏を技術長として一時は相当の成績をあげた。
 明治二十五(1892)年ごろには三井の所有株が多数を占め、また融通資金も巨額のぼったので、中上川氏が三井に引き取り藤山雷太氏に経営の任に当たらせた。
 ほどなく鈴木梅四郎氏がそのあとを継ぎ、北海道官有林の木材で新聞用紙を製造するため苫小牧に分工場を設けた。そこでは支笏湖を利用し、水力発電事業を計画し、取締役の前山久吉氏が現場監督の任に当たっていたが、三井の出資はおよそ一千万円以上にのぼっていたので、三井家において、この際私を社長にしてこの計画を完了させようとしたのである。
 このとき私は四十八歳で、三井家に奉公してから早くも十八年が経過していた。本来私は文筆の世界に生息するべき人間だと自覚していたので、五十歳になったら実業社会から身を引くことが、この社会に身を投じた最初の時からの予定だった。ところが王子製紙会社の苫小牧工場はこれから二年半で落成するという計画だったので、この仕事を私の最期の奉公にして、工場が完成次第、実業界から身を引くということを思いつき、こころよく任命を承諾したのである。
 このような次第で、私が王子製紙会社社長になってから、明治四十四(1911)年末に、今の王子製紙会社社長である藤原銀次郎氏を後任として同社を辞し同時に実業界を退くまでの期間は約二年半だった。

 苫小牧工場の建設監督には前山氏が、製紙機械の据え付けには現在重役である高田直屹氏が当たった。アメリカから製紙技術者一名を雇い、みごとな新聞用紙を生産できるようになった。
 その一方で、山上に周囲四里(注・一里は約4キロメートル)の湖水をたたえ、一か所だけに落下口があるという水力発電にとっての天然の利を持つ支笏湖において発電事業が完成した。これは、王子製紙会社の基礎を盤石にするものであったと思う。
 さてこの事業が完成した明治四十四(1911)年の夏、当時皇太子でましました大正天皇が北海道に行啓された。宮内大臣の波多野敬直子爵、北海道長官の石原健三氏らの随行で、苫小牧工場に台臨(注・皇族が来ること)の光栄をたまわったので、私は社長としてつつしんでご案内の役目を勤めた。
 私は明治三十二(1899)年ごろ、皇太子殿下が富岡製糸場に行啓されたとき、三井源右衛門(注・新町三井家8代高堅)氏とともにご案内申し上げたことがあった。そのときには、ほかにご覧にいれるものもないので、製糸場の一室に生糸を積み上げ富士山の形にしたものを用意したところ、殿下が物珍しくご覧遊ばされたことがあった。今回再び殿下をご案内申し上げることになったのは身に余る光栄で感激の至りにたえなかった。
 殿下は新設の工場をくまなく御巡覧遊ばされ、第一室では木材が機械で粉砕され、次室ではそれがたちまち抄紙(注・紙をすく)台の上に流れ出て、やがて純白の新聞用紙になる様子を興味深く思われたようで、いろいろなご下問があった。その晩は工場内のクラブにおいてご一泊されたので、私は次のような腰折(注・へたくそな和歌と謙遜するいいかた)を懐紙にしたため、畏れ多くも殿下の台覧の記念にしたのである。(注・原文では「涜(けが)し奉る」)


   白妙にすき出す紙を時ならぬ 蝦夷の雪とやみそなはすらむ


 このような次第で、王子製紙会社の心臓ともいうべき苫小牧工場ならびに支笏湖水力電気事業が完成したのは明治四十四(1911)年の上半期の終わりだった。その下半期において、私はいよいよ引退の決心をした。
 後任者については、当時本社の事業に大きな関心を持たれていた井上世外侯爵や三井幹部の意向を察して藤原銀次郎氏が適任であるということになり、私をはじめとするそれまでの役員は総辞職し、藤原氏を新社長と組織する新内閣が組織された。
 藤原氏はそれまで三井物産会社の小樽支店長を勤め、北海道の木材の海外輸出事業などに当たっており長年の経験を積まれていた。その実業的な才覚で着々と本社事業を拡大して、今日見る大会社を作り上げたのであるが、私がわずかな期間なりとも足跡をとどめた会社がますます隆盛を誇っているのを見るのは、まことに欣快の至り(注・気分がよい)である。


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