百十三 茶人失敗談 上(上巻389頁)
私は明治二十五(1892)年、初めての茶室入りを果たした。それから昭和七(1932)年の今日までの四十一年間つねに茶室の中の人となっているので、あまりに慣れ過ぎて最初のような好奇心も湧かなくなりがちだ。だが明治三十六、七(1903~4)年ごろは、私が自分でも茶事を初めてから五、六年というころで非常に気分が乗っていたし、当時は茶友のなかにも一風変わり者が多かったから後日の語り草になるようなことがよく起こった。
茶人の失敗というものは、だいたいにおいて茶礼中のきわめてまじめなときに起こってしまうので、その人物と場面を想像するだけで、なんともいえないおかし味が出てくる。この「箒のあと」でも、おりおり、茶室で起きた珍事を披露していくことにしよう。
感服七種
茶人というものは人の前では物を褒め、蔭に回って悪く言うものだと相場が決まっているようだ。誰とて、褒められて喜ばないということはない。ゆえに、茶客としての第一の心得は、物に感服するということである。
その感服の秘訣は、対象物に応じて、またその場面にふさわしく、その日の主人が、いかにもそのとおりであるとみずから感服してしまうようなやり方でなければならない。これには、七種の方法があると言われている。私の経験から、ためしにこれを分類してみよう。
第一は、唸り声をあげて感服すること。
第二は、しばらく目をつぶって感服すること。
第三は、顔を見つめて無言で感服すること。
第四は、ヘッヘッヘーとお世辞笑いをして感服すること。
第五は、フ―フーと鼻息を荒くして感服すること。
第六は、尻餅をつきグニャグニャになって感服すること。
第七は、品物を頭上まで差し上げて感服すること。
これが、いわゆる「感服七種」である。
さてこの七種の感服の方法を、随時随処に(注・いつでもどこでも)活用することのできる極意皆伝の腕前を持っていたのは、今はすでに故人となってしまったが、明治三十年代に茶人仲間のあいだで盛んに活躍した浅田正文氏である。馬越化生【恭平】翁もまた感服上手のひとりで、浅田氏の生前は、ふたりは「東都感服係の両大関」といわれたほどだった。
浅田氏には、とくに感服に関するエピソードが多かったようだ。氏は社交辞令が非常にうまかった。それほどのことでもないのに全身を揺り動かしてカラカラと感服の高笑いを上げる声は遠く茶室の水屋にまでも突き抜けてくるので、たいていの主人はこれを立ち聞きして、まずほくそ笑まざるを得ない。
しかし時として、この感服が度を越して失敗を招いた例がないでもない。あるとき浅田氏は根岸の吉田楓軒【丹左衛門】氏の茶会に赴き、感服上手であるからというので、みなに推されて一座の正客になったことがあった。ここ一番と感服ぶりを発揮して、さていよいよ香合拝見となった。染付形物香合松川菱を何度か眺めて、何度か感服し、一同も見終わったあとに正客から主人に返す段になった。浅田氏は開き直って威儀を正し(注・重々しく姿勢を整え)、「これは極めて珍しく、かつ、うるわしく、同じ形物のなかでも比類ない稀な作行きである」と縷々述べ立てて、頭を畳にすりつけていた。だが、楓軒はせっかちな性分で、寡黙なばかりでなく当時は茶事についても初心者だったから、正客の挨拶には委細構わず、香合を持ってはやばやと勝手のほうにひっこんでしまった。
一方の浅田氏は、十分に長口上を続けておもむろに頭をもたげてみると、当の相手はすでに立ち去って、主人の座にはただ炉の中の釜だけが残っていたので、さすがの感服家もあっけに取られてしまったということだ。そのようすに、ある狂歌の作者が悪口に作った、
ほととぎす啼きつるあとにあきれたる 後徳大寺の有明の顔(注・後徳大寺左大臣は、ほととぎす…の本歌の作者)
も思い出されて、一同ドッと噴き出すことになった。これは浅田の感服損として、当時の茶人のあいだでは有名な笑い話であった。
褒めて叱られる
明治三十五、六(1902~3)ごろは、薩摩の伊集院兼常翁が赤星弥之助氏の後見役になって、茶人のあいだで大いに気勢を張っていた。私の寸松庵に茶客として訪れたある日のこと、翁が正客となり、亡くなった大元こと伊丹元蔵が末客【おつめ】をつとめ、最初のうちはすこぶる意気投合していた。
ところが翁が宗旦の茶杓を鑑定し、みごとに言い当てたとき、大元はここぞとばかりに感服の舌鼓を打ち、「さてさて、ご鑑定(注・鑑識眼)がお上がりになりましたナ」と言った。そのとたん伊集院翁は予想外の不機嫌となり、「鑑定が上ったとはなにごとぞ、おれは自ら茶杓をつくって、大家の茶杓にどのような癖があるかは、十分にこれを会得している。四十年来斯道(注・この道)に苦労したこの拙者に、今さら、上がるの下がるのなどと、貴公の批判を受くべきや」との鋭い言葉を発した。予想がはずれた大元は、小さくなって縮み上がり、褒めて叱られるとは、感服もなかなかむつかしいものだと、他日、人にこぼしていたそうだ。
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