第五期 実業 明治三十五年より明治四十四年まで
百四 杉聴雨先生(上巻359頁)
杉聴雨【孫七郎】先生は長州藩の名門の出身で、井上侯爵とは莫逆の交わり(注・非常に親しいつきあい)があった。長州人は総じて文学趣味に富み、書道に秀で、詩文を巧みに作る人が多いが、先生はそのなかでも抜きん出ていた。詩や書についてはほとんど専門家をしのぐほどの技量の持ち主だった。
私は井上侯爵の家に出入りするようになってから、三日にあげず侯爵家を訪問されていた先生と親近した。文学の趣味を持つ同好の士であったことや、私の岳父の長谷川秋水(注・前妻千代子の父長谷川方省)が先生の詩友であったことから、初めて会ったときからまるで旧知の仲のようで、わたしはほどなくして平河町にあった杉邸に足しげく出入りするようになった。
先生は大柄で、頑丈な骨組みは武道家のようだった。容貌は雄偉、色黒で眼光が光り、いったん怒ると鬼でもやっつけるような威厳を持つが、いったん笑うと子供もなつくような柔和さを持っていた。いたって寡黙で、長州弁で要点だけを口早に言い終わるや、また黙々として人の話に耳を傾ける、という風だった。それは大悟徹底した禅僧の趣で、何事にも控えめで、いかにも沈着な態度でありながら行動するときには動じない気迫を内に秘めていた。
その一例をあげる。維新前後の長州の志士が国事に関して京都に赴こうとし、便船が鞆之津(注・とものつ)に近づいたときのことである。激しい暴風雨に遭遇し、船頭ももはや転覆沈没するほかはないと乗客一同に警告を発した。そこで同行の七、八人は覚悟を決め、遺書をしたためる者、辞世を書く者など、みな顔色を失って悲惨の極点に達していた。先生はその光景を寝転びながら見ており、やがて船が沈没するという刹那に猛然と立ち上がり、真っ裸になって同行者の前に立ちはだかった。そして、「おれの辞世は、これじゃ、これじゃ」と、その勃々たる勇気の勢いを示したので、今まで悲惨な顔つきをしていた同行者も、さすがにこれには笑い出し、船頭までもが元気づき、とうとう荒波を乗り切って鞆之津に着くことができたという。この逸話は先生が死生の際で見せた泰然とした態度を語るものとして、非常に有名なものだそうである。
先生はかつて皇后宮大夫の重職にあった。書道にきわめてすぐれていたので、大正天皇がまだ東宮であられたころ習字の手本を差し上げて、おりおりご教授申し上げたそうである。また深い漢学の素養もあり、時々詩文を作られた。なかでも詩はきわめてうまく、数々の感吟がある。西郷隆盛の城山に立てこもった当時の状況を詠じた詩は、次のようなものである。
百戦無功半歳間 首丘幸得返家山 笑儂向死同仙客 尽日洞中棋響閑
ところが、はなはだおかしなことに、この詩が西郷の詩と誤って伝えられてしまった。現に、簡野道明氏の和漢名詩類選評釈の中にも西郷の作として掲載されている。その他の大家の著作でも同様の誤りを見受けたので、私は聴雨先生に「これは世間で西郷の詩と言い伝えられているが、貴方のお作でありますか」ときくと、先生は微笑なさり「おれの作も西郷のとなってしまえば名誉であるよ、実は西郷が岩崎谷に立てこもった時の心境は、このようなものだろうと思って、彼に代わって作ったものであるが、西郷の作だといえば、それでもよいわァハハハハハ」と笑われた。これには、いかにも聴雨先生らしい雅量がうかがわれたものだ。
そこで私は、では後日の記念のために、その詩を書いてくださいと所望し、さっそく半切(注・画仙紙などの全紙の半分サイズの紙)に揮毫していただき、頂戴したようなことがあったので、ここにその顛末を記して世間の誤伝を正すことにした。
先生の性格は井上侯爵と正反対である。侯爵は雷伯といわれたほどで、ときどき大きな罵声を発せられることがあるのに対し、先生はいつでも沈黙して、静かなること山のごとくである。それで井上侯爵とは漆膠のごとく(注・不可分に)親密で、侯爵は先生がいなくては夜も日も明けず、なにかあるとすぐに「杉を呼んで来い」というのが侯爵の常だった。
ところで、井上侯爵がなにかのことで癇癪を起こすと、先生はいつのまにかその場をスルリと抜け出して、挨拶もなしに帰ってしまったものだった。その呼吸がいかにも巧妙なのだった。あるとき興津の別荘で井上侯爵の落雷が激しかったとき、先生は例のとおり泰然として座敷中を眺めていた。侯爵が鉈豆煙管(注・なたまめギセル、短いキセルの種類)で灰吹をポンポン叩くので、あちこちに焼けほげを作っているのを見つけると、そばにあった紙に、
焼ほげがところどころに出来にけり 畳がへなら献金をせん
と書いて机の上に置き、フイと立って旅館水口屋に引きあげてしまった。あとで侯爵がその紙きれを取り上げて見て思わず噴き出し、いままでの大雷がたちまち収まった、などということもあった。
杉先生については、まだ多くの奇談があるので、また後段でも語ることにしよう。(注・154「杉老子爵の逸事」などを参照のこと)
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