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百一  三井宗竺遺書(上巻345頁)

 前項(注・100を参照のこと)に記述した三井家憲は、今日の情勢と法律に適応できるように規定された。その根本は、三井家が二百年あまり守り続けた同家の家憲である「宗竺遺書」に準拠した内容になっている。そこで、今回はその宗竺遺書について述べてみたい。
 三井の祖先は近江源氏佐々木族である。元亀、天正のころ(注・16世紀末の室町時代)近江鯰江の城主だった三井越後守高安という人が、織田信長に追い払われて伊勢の雲津に落ち延びた。ここに土着し則兵衛高俊を生み、高俊は八郎兵衛高利を生んだ。この高利が商家としての三井の先祖である。高利は元禄七(1694)年七月に七十三歳で死去し、法号を松樹院長誉宗壽居士といい、京都の真如堂に葬られた。
 この人こそが、伊勢から江戸に出て越後屋呉服店を開き、ついで三井両替店を始めた当家の創業者である。実子が十五人いた中から正腹の男子六人を選び、嫡男を総領家とし、他の五人を本家として三井六家を立てた。
 嫡男であった八郎右衛門高平は宗竺と号し、二代目として非の打ちどころのない守りの才能、器量に恵まれていた。同族の長久繁栄のために、その父である宗壽居士の遺訓により宗竺遺書と名付けた掟の書を作り、享保七(1722)年に家法として厳守することを決定した。
 この遺書は同族の処世法、商売上の措置、奉公人に対する注意、財産の分配および子孫の教育法など、永世にわたっての容易ではない訓戒規律を網羅したものである。時勢の違いから今日には相容れない法律的規定を別にすれば、これ以上周密で適切な家法を作ることは現代人であっても誰もできないだろうと、穂積陳重博士でさえもが感嘆するほどのものだった。三井家が二百年余りにわたり、ますます繁盛を続けているのも、この遺書の精神に基づき子孫がよくその家業を継承してきたからにほかならないと思われる。

 宗竺遺書は、そのような家法であったが、明治三十四(1901)年にできあがった三井家憲も、だいたいにおいてこの遺書によっている。子孫に対する訓戒の中には、現代の実業家に対してもすこぶる適切なものがあるので、その二、三の興味深い例をあげてみよう。(注・難しい漢字をひらがなにしたりしたほかは、原文通り)
 一、同苗(注・同族)共益々心を同じうし、上に立つ者は下を恵み、下たる者は上を敬うべし、吾々は兄弟にして睦ましけれども、この末はまた左にあらず、しかればいよいよ心を一にし、立て置く家法礼儀をみださず、よくつつしみ守る時はますま栄ゆるの理なり、人各その心あり、彼れが心を酌み、われを図ってことをなさばよく整ふべし、己を立て人を図らざれば、外整ふとも内和せず、よく服せざる時はみだるるなり、その旨よくよく心得べし、驕り長ずる時は家業を忘れ、その商に疎かなる時はなんぞ繁昌せん、ただ一家親しく身を慎み、私なくよく眷族
(注・一族)を恵み、家業に怠りなき時はいよいよ繁昌相続いたすべき事

 一、商人は不断の心がけ薄き時は、他よりその商ひを奪はる、これ戦ひの理なり、多年心に懈怠(注・けたい。怠けること)なく、商ひの道をよく勤め、眷族(注・一族)を養ひ、内を修め、家業を怠らざれば家栄ゆるなり、大工の家を造るに、棟梁ありともそれぞれの大工なくんば成らず、棟梁良き時は好く出来(注・しゅったい)す、皆これ諸共にして棟梁よく下を使へばなり
 一、異国の国王に十人の男子を持てり、その親末期に及び、十人の子供を各々枕元に呼び寄せ、一人に矢一筋づつ持たせ、右の矢を折り候へと指図の時、十人ともに矢を折る、また矢を十筋一緒に束ねて、総領より折り候やうに申渡され候とき、右の矢かつて折れず、次男に申付られ候とも折れず、十人共に一人の力にては及ばざる由申せし時、親遺言として十人共兄弟へ申置かれ候は、われら相果て候以後、兄弟一致に睦ましく諸事相励むべし、右矢のごとく一本にては折れやすく、十本束ね候ては折るることなし、兄弟各々心をあわせ候ときは、国に危きことなしと申置かれ候由、手前家の掟これに相適ひ候
 

以上は、宗竺遺書の一部に過ぎないが、一家を永続させようとする深謀遠慮は、このような一片からでも容易に想像できるだろう。
 こうして今から二百十一年前にあたる享保七(1722)年にこの家法を制定し、これを子孫に守らせた祖先の力もすごいが、また大事に家法を守り、同族一致して今日までますます家名を盛り立ててきた子孫も感心なものである。単に日本において例が少ないだけではなく、世界を見渡しても、きわめてめでたい家柄であろうと思う。
 しかし大家は大木のようなもので、林に大木があるということで、その林が貴いものになる。国に大家があるということは、国が重要であるということになる。
 最近流行している悪思想では、むやみに大家を目の敵にするが、三井のような旧大家は、個人の私有物というよりも、むしろ国家の公有物であろう。その繁昌が、同時に国家の繁昌を意味するのである。今、かりに三井が所有財産を売り払い、実業界から引退することになったら日本の財産にどのような影響がるだろうか。国家の大局から見てのその損益については多くを語る必要もあるまい。
 このような大家は、主人も勝手にこれを私有してはならず、ながくわが国の商業界に立ち、国家大衆とともに栄枯苦楽をともにする運命を持っているのである。よって、この一家が雪ころがし方式に世を利し、我を利しながら、ながく繁栄していくことを私は心から願ってやまないのである。



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