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 百
三井家の家憲
(上巻341
頁)

 井上馨侯爵は三井主人側から財政整理を依頼されており、明治二十四(1891)年、私が三井入りしたころから一家整理の根本方針として同族が厳守するべき家憲を制定することを計画していた。しかし、ボアソナード、ロエスレルなどにフランスやドイツにおいてすでに実行されている家憲を調べてもらったが、同族内の一部で破たんが起きた場合に、それを他の同族に及ぼさないですむような方法をどうしても見つけることができなかった。考えあぐねてそうこうしているうちに日清戦争が勃発し井上侯爵は朝鮮公使になり朝鮮に赴任したので、それから数年間は三井の財政問題について世話を焼く機会がなかった。また三井のほうでも、中上川氏の整理が着々と成果を上げてきたので、そのまま放置されていた。
 しかし侯爵が東京在住となった明治三十(1897)年ごろから、三井も戦後の景気拡大からの反動に襲われ、営業上にさまざまは支障が起きてきた。それにともない、各方面からいろいろな建言が集まってきたので、井上侯爵もとうとう腰を上げ、家憲の制定に着手することになった。
 前回のときは私が侯爵の伝令役となって各方面に奔走したが、今回は都築馨六男爵が補佐役になり穂積陳重男爵に家憲の草案を委託することになった。
 穂積男爵は、三井の元祖である宗壽居士高利の遺言をその長男である宗竺居士高平がまとめた「宗竺遺書(注・101を参照のこと)」を基本とすることにし、それに時代に即した法律の思想を加味し、明治三十三(1900)年中に草案作りを終えた。
 三十四年にはいり、いよいよ家憲制定の披露式があり、三井同族の代不磨の(注・長く価値を持つ)家憲が制定されたのである。
 営業店が繁盛はもちろん大切なことだが、同族各家の基礎がしっかりしていなければ、のちのち混乱が生じるかもしれなかったのが、ここに厳粛な家憲が定められ同族が従う基本が示されたわけである。これは当家にとり永遠の幸慶であった。これを祝福するだけでなく、井上侯爵の尽力が大きかったことを忘れてはならないであろう。

 

穂積男の苦心(上巻343頁)

 私は三井家憲の制定後その起草者であった穂積男爵を訪問し、その成立までの苦心談を聴き取った。そのときの談話の概要をここに掲げる。
 「自分が家憲を起草することになった発端は、明治二十五(1893)年ごろのことで、ある日、井上侯爵から招かれ、三井は日本商人の旧家で、同族が非常に多いので、時勢の変化に応じて、この同族の結合を緊密にし、将来の一家の悲運を防ぐ方法を講じなければならない、しかし同家は他の家と違い、第一に総領家というものがあり、次に本家、連家というものがあり、その家格、収入に差があるので、情勢を考慮して、うまい具合にこれをまとめていくには非常に複雑な工夫が必要になる。聞くところでは、君は渋沢家、亀井家の家憲を作ったそうだから、三井のものもご依頼したいと思うと言われたので、いったんは辞退してみたが、侯爵が例の熱心さで何度も懇請されるので、とうとう引き受けることになった。
 さて、家憲の制定であるが、まず、主人を主とする同族会を組織した。次に、従来は元方と称していた番頭と主人の連合の重役会を作った。さらに、これを指導する顧問役を置いた。
 つまり、主人と番頭と顧問の三つの力を集めて、家憲の本体をなすようにしたのである。しかし本来、家憲というものは同族内の契約であるから、これを破ろうとするものがあれば、いつでも破ることができるわけで、いかなる国の法律であっても、それを防止することはできないのである。
 そこで、こうしたことが起きた場合の制裁として、この契約を破った者には、破ったことで生じた損害を償わせるということにした。そうすることで、将来もしも家憲を破ろうとする者が出てきたときも、それによって生じる損失の負担をしなければならないことを考えることで、自然とその気持ちを慎むようになるわけである。これ以外には、なんら法律上の制裁はない。だいたいこのような趣旨で三井の家憲を制定した。
 井上侯爵も、死んだ家憲よりも生きた精神を重視し、各家の主人が心から同族に一致を図り、営業の分担をし、また子弟の教育を奨励して、主人自身にも財産管理を監督できるだけの能力を備えること、旧来の番頭専制体制を打破すること、主人みずからが業務を統括することを主眼にしたのである。
 主人の頭の中に不文の家憲を作り上げ、それを実地でも実現するという考えであった。井上侯爵のような、人望も地位もあり、しかも世話好きで自分の考えを貫徹するまでは熱心に、執拗に、何年かかっても飽きることなく事の当たることのできる精力家でなけれは、三井の家憲を作り上げることは、とうていできなかったであろうと思う。」


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