九十六
先師の捐館(注・えんかん。死去)(上巻327頁)
福澤先生は明治三十一(1898)年九月に脳溢血を起こし一時昏睡状態に陥った。この知らせをきいたとき私もちょうど東京にいたので、さっそく三田邸に駆けつけたが、東京中の名医という名医がかわるがわる来診していた。その中にはドイツの名医ベルツ博士もいた。
ベルツ博士は帰り際に、私や中上川彦次郎氏が集まっていた座敷に立ち寄ったので、中上川氏が回復の見込みがあるかどうか尋ねたところ彼は手を左右に振って、生命は一時取りとめるかもしれないが、His career is over.【彼の功業は、はや終わった】(原文「ヒズ・キヤ-リヤ-・イズ・オーバー」)と宣告して、悄然と立ち去った。
先生の病勢はすこしずつ収まり、二、三か月後には片言交じりのおしゃべりをするようになられた。しかし古いことはかえって記憶しているのにひきかえ新しいことは忘れてしまい、特に人名が思い出せないようになっていた。
ある日、山本権兵衛伯爵に会いたいと言い出されたのだが、その山本という姓が出てこず、ほかの事情から推察して、ようやく同伯爵のことだとわかったというようなこともあった。
翌年の夏ごろから気力がかなり回復し、記憶もまた復活し、自身で筆をとった大字に「病後之福翁」という印を押されたこともあった。あの「修身要領」というのも病後の産物で、この宣言によって福澤先生のいわゆる「独立自尊宗」が大成を見たといってもよいのである。
そしてついに、足かけ四年の三十四(1901)年一月に病気が再発し、二月三日に長逝された。
小幡先生をはじめ塾員総出で準備を整え、同八日に福澤邸を出て麻布の善福寺で葬儀を行い、府下大崎の墓地に葬った。
それはいかにも厳粛な葬儀であった。福澤邸から善福寺までの随行者は全員徒歩ということになったので、馬車で福澤邸に乗りつけた人はその様子に驚き、すぐに下車して葬列に加わるというありさまだった。先生の葬儀でなければ、このような例を見ることはないだろうと思われるようなもので、会葬者一同は感激したものである。
私は明治十四(1881)年から先生の庇護を受け、翌年に時事新報の記者になってからは先生の社説の口述筆記をしたり、自説の執筆をしたりするときに先生の検閲を受けるために、ほとんど毎日机のそばにいて文章の書き方をいちいち教わった。幾千もの門弟があるなかで、私は渡邊治、石河幹明の両氏とともに、例を見ない幸運にあずかったのである。
その後はそれほど近くにはいなかったが、交詢社その他で拝顔する機会は少なくなく、なんとなく厳父のように思っていた。社会に出てさまざまな働きをするにあたっても、先生がどう思われるだろうということを念頭に置き気持ちのうえの励みにしていた。先生が亡くなられたことで、その目印(原文「目当」)を失ってしまったようで、善いことも悪いことも報告する場所がなくなってしまったような気がした。
顧みて思うに、私の一生のうちで、このような稀代の大人傑のそばで特別の教訓を受ける機会があったことは二度と得難い幸運であったと思う。いまなお、ありがたく感謝している次第である。
稀代の偉人(上巻330頁)
私は福澤先生と同時代に生を受けただけでなく、浅からぬ師弟関係を結び長年にわたりそばに仕えた。そのような教えを受けたことは、ほんとうに一生の幸運であった。昔から禅宗では、かんたんには世に出てこない名僧のことを「五百年間出」などというが、福澤先生は、五百年間出か、一千年間出か、とにかく稀代の偉人であったことだけは確かで、わたしが云々する必要もないことである。
日本という国が始まって以来多くの偉人はいたが、同時代に生まれて親しいつきあいをしたら、さぞかし面白いにちがいないと思うほどの人物はそれほど多くはない。
私は個人的には、学問もあり、趣味もある、話のおもしろい人に会ってみたいと思うので、その筆頭にあげたいのは、唐の仏教文明を日本に輸入した弘法大師である。そしてその次が、鎌倉幕府の創立を計画した大江広元である。また、同じく僧侶で、禅宗を大衆化させた一休和尚にも会ってみたい。そしてさらに近いところでは、なんといっても、太閤秀吉の天空海闊な(注・度量が大きく、こだわりのない)大きな肝っ玉にぶつかってみたら面白いだろうなあと思う。徳川時代では、炒り豆を噛みながら英雄を罵ったという荻生徂徠に会ってみたいと思う。
そして維新以後の人物で誰に会ってみたいかというと、それは福澤先生ということになるのではなかろうか。ところがなんの幸いか、私はこの千年間出の大先生にお会いし、親しくそばに仕える機会を得たのである。考えてみれば、これこそこの世に生まれた甲斐があったというものだ。
しかしながら、先生の一代の業績について語ろうとするとほとんど際限がない。それに、門下生の身分では、あまり立ち入って評論するのも得策ではない。よって次項においては、先生にじかに接しその性向をよく知っておられる諸先輩のご意見を摘録することにさせていただきたい。
コメント