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 七十八
美人立看板(上巻264頁)

 私が三井呉服店の改革を始めて内部の仕事が軌道に乗り始めたので、今度は広告の方面に力を入れることになった。欧米を遊歴した際に見聞きしてきたアイデアを日本風に焼き直したものが多かった。 
 私が洋行中だった明治二十一、二(18889)年ごろは、あちらでもその後のような広告の方法がまだ発達していなかったそれでもロンドンの目立つ場所で建築中の店は、通りに面した空き地を広告屋に貸して、その料金で建築費の一部がまかなえると言われていた。
 そうした広告にはいろいろな工夫が見られた。私が今でも覚えているのは「ペイヤス・ソープ(注・現在もつづく石鹸メーカーPears Soapーペアーズ・ソープーだろう)」という石鹸屋の看板で、とても愛嬌のある金髪の青年が青い服を着てシャボン玉を吹いている図だった。綺麗で斬新だったから普通の人の目にとまった。
 私はこれを三井呉服店の広告に利用しようと思った。呉服店の看板なので、美人が正装している図柄でなければならない。そのモデルを誰にしようかと探したところ、そのころの新橋に、小ふみという芸者がいて、ほっそりとした昔の辰巳芸者のようである。つぶしの島田に、着物にも髪飾りにもはやりを取り入れてどこからみても完璧な身なりをしていた。

  それであるとき、小ふみにその話を伝え、凝りに凝った衣服を作らせた。それを、呉服店意匠部の美人画担当、島崎柳塢氏が、彼女の等身大の立看板に描き、それを新橋駅の客室の壁に飾ることにしたのである。これこそが、東京、いや日本に出現した、初めての広告立看板だろうと思う。
 小ふみは、日清戦争後の好景気の時代に、新橋でいちばんの売れっ子だった。細くすらりとした粋な姿に加え、一種、江戸っ子風な気性の持ち主で、ある銀行重役のひいきを受けて、着物や髪飾りなどは思いのままに贅沢三昧できたので、こうしたことで当時の新橋の仲間うちで肩を並べる者はなく、まだそのころは年頃だった桂公爵ごひいきのお鯉なども、小ふみ姐さんの好みを目標としてまねをしていたということである。
 小ふみは尾上梅幸のことが好きになり、一時は妻も同然になったが、性格が合わなかったのか「落花心あるも、流水その情なく(注・一方の気持ちが他方に通じないことのたとえ)」、彼女のほうがやがて肺病にかかり臨終のときまで愛人の名を呼んで死んだという。この劇的な最期も、いよいよ美人薄命の見本だと評判になった。
 すこし不謹慎かもしれないが、私はいつも彼女のことを、九条武子夫人とよく似ている点が多いと思っている。その容貌が、またその好みや境遇が非常に似ているだけでなく、若くして亡くなり、人から惜しまれたという点も同じで、一方は華冑(注・華族)界、一方は花柳界という違いはあったものの、ともにいつまでもひとびとの印象に残る麗人であった。身分においては雲泥の差があるが、ちょっとついでに私の感想を記しておく次第である。

 

伊達模様踊り(上巻267頁)

 世間の景気がよくなれば衣服の模様が派手になり不景気になれば地味になるということは、呉服商が長年の経験から明言するところである。明治二十九(1896)年ごろは、日清戦争後の景気膨張時代だったから、むろん世の中の人の好みが派手になろうとしていた。この機に乗じ、私は「伊達模様」という名前をつけた揃いの衣装を作って、新橋の若手の売れっ子芸者たちに贈った。
 この模様は、黄色地に柳桜と胡蝶を染め出した柄で、これを贈ったのは、おきん、きや、清香、五郎ら五人だった。彼女たちは高島田にこの衣装で着飾り、地方(注・じかた=舞いを踊る立方に対し、音楽の演奏者)には、そのころの姐さん格で幅を利かせた喜代治を首席にして、ほうぼうの座敷で踊りまわった。

 そのときの「伊達模様」の一曲は、次のような文句だった。(注・旧字を新字になおした)
 

   「伊達模様」
「これやこの盛り久しき三つ組の、小袖模様の蝶桜、朝な夕なに乙女子が、心の錦身に飾り、裾ふきかえす春風に、誘うて出づる初駒の、勇めば花や匂うらん
「時を経て開くや花の山続き、四方の恵みもいや高き、富士の根仰ぐ駿河町、朝日にうつる白雪は、田子の浦わの水鏡、四海波風おだやかに、鄙も都もおしなべて、つけて目出度くまい納む伊達の模様の数々


 以上の文句は、私が立案したものに平岡吟舟翁が加筆し、節付けも振付も翁が担当した。そういう時代の成り行きだったのか、山室保嘉検校がこの歌に琴の旋律をつけて、ひところ非常に流行しただけでなく今日でもときどき演奏されることがある。当時の記念として私にはもっとも興味のある思い出である。
 また三越呉服店が日露戦争後に元禄踊り、元禄模様を流行させ、明治風俗史にもっとも華やかな一ページを飾ったが、これもこの伊達模様の延長上に位置するものにほかならないのである。


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