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六十二  後の相馬事件(上巻208頁)

 以前、別項(注・29参照のこと)で相馬事件について取り上げたので、今回はその後の相馬事件について述べる。この事件は私の身にはなんら関係がないが、後藤(注・後藤新平)伯爵から私はじかに話をきいている。自その困難に対応した本人から話をきいておきながらそれを聞き流すだけでは、宝物を泥の中に投げ捨てるような気がするので、後藤伯爵の語った内容をここにそのまま叙述することにしてみたい。(注・内容についても現代文に意訳している)
  

 相馬事件については不思議な事実があった。最初は相馬誠胤に同情した陸奥宗光が、相馬事件の後半では反対に後藤に圧力をかけ法廷に立たせるに回ったことである。これは相馬家が古河銅山に出資していることと関係があった。
 のちの相馬事件、つまり事件の後半がどういうものであったかというと、明治二十五(1992)年に錦織剛清が相馬誠胤の死因が毒殺であると告訴したので、死体を発掘して大学で検証したところ毒殺の事実についてははっきりしなかった。そのために、錦織は誣告罪(ぶこくざい。注・虚偽告訴罪)、後藤はそれを仕向けたという罪で投獄されることになった事件である。
 その当時後藤は衛生局長であったから、監獄にはいっているあいだは休職扱いとなった。その六か月と二十日のあいだ、検事と激論をかわしその後の公判で無罪になったのを検事がさらに控訴した。控訴院でふたたび論争が続き、ここでもついには無罪になり明治二十七(1994)年に終わりを告げた。
 後藤は拘引される四日前に、医師の長谷川泰の訪問を受けた。長谷川は、たった自由党の本部で陸奥の働きかけでとうとう後藤を入獄させることになったと、星亨がある人に話しているのをきいたから、君は十分に用心しなければならないと忠告したそうだ。 

 そのころ相馬家には多量の金塊があったが、それを当時の家職(注・執事)が売り払い、その金を古河銅山の資金に投じたので、古河と相馬のあいだには密接な関係が生まれた。陸奥の子(注・次男)は古河の養子になった古河潤吉であり、古河市兵衛の相続者であったから、陸奥が後藤を入獄させるようにいろいろ図ったというわけだった。
 ところで、後藤が錦織に虚偽の告訴をさせた証拠とされたのは、後藤が引っ越しをしたときに錦織が手伝いに来て、懐にしていた相馬誠胤毒殺事件の控訴状の原稿を違い棚の上に置き忘れたのを家宅捜索のときに発見されたということと、錦織が入獄したときに生活費として三千五百円を置いていってほしいと希望したのに対して、後藤が錦織の借用証文に印を押したことのふたつである。
 しかし後藤にはなにもやましいところがなかったから、最初から検事を抑えてかかったが、その検事は西村伝西川漸だともいうという福島出身の非常に意志の強い男だったから、熱心に後藤を取り調べ、五十銭、一円の金を憐れんで与えたというのであれば関係はなかったと思えるが、三千五百円という大金の証文に印を押すとは、その意味するところは明白ではないかと迫った。
 後藤はそこで一首の古歌を口ずさみ、花は散り方を見るのが情けであるという意味をほのめかしたそうだが、彼はこのことがよほど印象深かったとみえ、その後、後藤が福島に行ったとき、彼は福島で弁護士をやっていたが、いちばん先に出迎えて、名刺の裏にその歌を書きつけて見せたとのことだ。彼もなかなかの人物だったのであろう。
 さて後藤はそれから監禁十七日に及んだが、そのとき牢番が後藤に同情し、世間のことを語ってきかせながら、あまり検事と争うのは身のためではないと忠告すると、後藤は一首の歌を詠んだ。

    なかなかにけふは見られて面白し 人の心の裏と表を

そのころ後藤は思いつくままにたくさんの歌を作ったが、多くは忘れてしまったそうだ。
 後藤は検事に対し、僕が錦織をそそのかすはずがないことを示す理由がある、と言ったという。今日では毒殺の方法が非常に進み、一か月を経過するとその痕跡がわからないようになる。そのことは、僕が医学の上でもよく知っていることだ。それなのに、一年を過ぎた遺体を解剖して毒殺の検証をするなど、到底無理な話である。それを熟知している僕が、益のないことをそそのかすはずがないではないか、これが学問の真理というものだ、と説明し、検事がいろいろと追及しても平然として、入獄の日数が長引くのを不満として、世間のひとびとに知ってもらいたいと思ったのである。

 しかし不思議なことに、このほど磯部四郎が、あの相馬誠胤の妾の口述筆記をしたのであるが、そのなかに、誠胤は確かに毒殺されたとあったそうで、これはさらに調べてみなければならない事実ではないかと思っている、とのことだった。
 以上が後藤伯爵から直接きいた話である。この当否について私は何事も語らない。ただきいたままを伝えるのみである。


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