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  四十七
貧富問題(上巻152頁)

  明治十八、九(18856)年ごろに福澤先生が執筆された「貧富論」のなかで、江戸の祭礼を一例にひき、先生は次のように論じられた。
 祭りのときには町内の若者がまっ先に踊りだし、親しい者同士、知らない者同士でも気心を合わせて山車を引き、みこしをかつぎ、木遣り(注・掛け声)をかけて祝い酒を飲む。その費用分担は、金持ちが多く貧乏人は少ない。だが、いちばん楽しい思いをするのは貧乏人のほうなので、しぜんに彼らはひごろの鬱憤を晴らすことができ、その不平をしずめることができるというなんとも微妙なバランスの効能があるのである。
 いかにも人心の機微をうがった卓見だと思い、私はこのことをつねに心に留めていた。
 イギリスのリバプール滞在中に、この点について思うところがあったので、一意見としてまとめ福澤先生に送った。すると先生の序言つきで、これが時事新報の紙上に発表されることになった。そのなかで私はこのようなことを書いた。(注・意訳した)
「リバプールの知事であるクックソン氏は、クリスマスの夜に、靴もズボンも持たないような貧民の児童四、五百人を狩り集め、冬服を支給する会を開いた。それが行われたのは、ある教会の庭先で、子供たちの父母や親戚は、庭の内外に群集して見ていた。

 知事は、井戸綱のように太い金のチェーンにつけた、皿のように大きな印綬を胸にたらして現れた。そして、貧民の子供のなかから一番幼い子を抱き上げて支給服を着せ、三法師を抱いた秀吉さながらに周囲を見回し、冬服を支給する理由や目的について演説を行った。その姿は、見ている者に同情の気持ち(原文「惻隠の情」)を起こさせるものだった。
 このときリバプール大司教(原文「大僧正」)も、敬虔な声を張り上げ宗教的な説教を行い、満場の観衆は、声もあげずに感動の涙を流したのである。ああ、この涙こそが、無数の貧民の不平の気持ちをなだめ、ささくれだって曲がってしまった心をやわらげるにちがいない。
 リバプールは商工業の中心地で、貧民の数も多い一方で、財産を持つ家(原文「素封家」)も軒を並べているのであるから、他の都市に比べて、一層貧民の不平があおられることが多いはずなのに、そのころ、そうした様相がなく職工労働者の人心が意外に平和なかんじに見えるのが不思議だったが、年末クリスマスにあたり、市民が貧民を慰めることを忘れていないところを見ると、宗教的にも、市政的も、いつも、こうしたことへの用意周到な準備があるからにちがいないと思いとても感心した次第である。云々」


廃娼問題(上巻154頁)

  廃娼問題はどこの国においても、是か非かをめぐって決着のついていない問題である。名を取って実を捨てるか、実をとって名を捨てるかの一利一害が錯綜し、禁酒問題と同じで、いつまでたっても一致点を見つけられないようだ。


 中国の聖人が「飲食、男女は、人の大欲存す(注・礼記。食欲と性欲は人の二大欲だという意味)」と言ったように人間は食欲と色欲の餓鬼であるから、かげ(原文「陰」)かひなた(原文「陽」)か、公か私か、どのみちその欲望を満たさなければ済まされないものだろう。
 私は外遊中に、ロンドンとパリを比較して、この問題が簡単に解決するようなものではないことを実感した。ロンドンでは公娼が許されていないので私娼がひじょうに繁盛し、その不夜城をめざして人が押し寄せている。私娼たちは道端、あるいは劇場や寄席を徘徊して熱心に客引きをするので、良家の女性たちはもちろんこの界隈には近づかない。もし近づく者があったとしたら、それでもし職業婦人であると思われても、その無礼をとがめることはできないことになっているのだという。
 日本から旅行で来てこの界隈に遊び、それを詩にして詠じた人があるのを見て、私もそのひそみにならい、たわむれに俗謡を作り、二上り新内の達人、岡本貞烋氏に送ったことがある。
 「花の帽子を手に取りて、グードナイトも口の中、またの逢瀬をネルソンの、塔のかなたで待つぞいな」 
 これは、ロンドン中心チャリング・クロスの、ネルソンの塔あたりの夜景を詠じたのである。
 さてパリはどうかというと、世界からやってくる客を引き寄せて、絶えず黄金の雨を降らすのが国の伝統的な政策なので、カフェや劇場に化粧をした魔物が横行するのはもちろん、ひとたび花柳のちまたに足を踏み入れれば、赤い布を看板(原文「招牌」)にした妓楼が軒を連ねてひしめいている。この女護島(注・遊里)の一角は、世界の餓鬼を誘惑して、ながい夜の遊行に耽らせるのである。

 これが公娼制度の特色で、風紀をうんぬんする人びとの目から見れば文明国の恥さらしだと非難することになるのだろうが、ロンドンのような私娼が横行してしまうと、その結果は病気や害毒の蔓延だ。そしてそれを防ぐ手立てがなく、世界を股にかけて流れ渡ってくる質の悪い娼婦が、悪徳のタネをまきちらして旅人に極度の不安を与えることになるのだ。イギリスには公娼がいないという美名のかげに、きわめて陰惨な罪悪がひそんでいるのが、おおうことのできない事実なのである。

 日本においても、宗教家や女権論者がこの廃娼問題をさかんに取り上げているようだが、実際に即して人道上の問題を考えると、はたしてどちらが適切なのか。各国の実状を研究したうえで選択をあやまらないようにしなければならないと思う。


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