四十六
美術館の位置(上巻149頁)
大都市において、どの場所に公共建築を建てるかということは、都市の運営にあたる者がおおいに考慮するべき問題だ。
私はヨーロッパに滞在中、美術館や博物館が、繁華街のまんなかの人がいちばん行きやすい場所に建てられていることを非常に納得のゆくことだと思った。そもそも美術館や博物館というものは、特殊な研究者のためにあるだけではなく、なるべく多くの一般人が観覧し、自然に感化を受けられるようにするのが本来の使命にちがいない。たとえばロンドンのナショナル・ギャラリー、ケンジントンの博物館のようなものは、どこからでも行きやすい(原文「四通八達の」)場所に建てられいる。パリのルーヴル美術館、リュクサンブール(原文「ルクセンブルグ」)美術館なども同様である。
それに対し日本の各都市では、こうした考えをはなから無視しているが、とくに東京においてそれがもっとも顕著なようだ。日本は世界の美術国と言われていながら、その第一の都市である東京にたったひとつの国立美術館もなく、ただ上野の山奥に小規模な帝室博物館があるだけでは、ほとんど都市の体裁をなしていないではないか。
今もし、美術工芸館が一般の感化のために必要であるというなら、なるべく便利な場所にこれを建て、たまたまの雨宿りで美術館に飛び込み、はじめて美術に目をとめて感化されるというような利便があってこそ、その効果が広く一般にいきわたるのではなかろうか。特別に何かを研究している人達なら半日かけて上野の山奥にある博物館に出向くかもしれないが、それほどの必要もなく、またそんな熱心さをもたない人たちは、美術に一生接する機会がないだろう。
昭和七(1932)年に亡くなった末延道成君は生前に、牧谿のヒゲ老子(注・現重要文化財、紙本墨画老子像か?)だの、瀟湘八景だのという、かずかずの名画を収集し、公共美術館に寄付するつもりだと言われたそうだが、さらに聞くところによれば、東京で一番便利な丸の内に美術館が建設されるなら、その資金として百万円支出してもかまわないと言われていたのだそうだ。私は末延君から直接この話をきいたわけではないから彼が本当にそう言ったかどうかを保証することはできないが、さすがは末延君らしいアイデアで、ものごとを見る目のある人は違うなと非常に感心したのだった。
ヨーロッパの諸国が証明しているように、私はこのような信念を滞欧中から抱いていたので、それ以来この問題に触れることがあるたびにできるだけ宣伝をしているが、今日にいたるまでその実現を見ていないことは非常に残念だ。しかし日本においても、さまざまな事情で近いうちに国立美術館を設立する時期がやってくると思うので、そのときには私の意見を必ずとりいれてほしいと思う。都会のまんなかでは火災の危険があるだろう、という意見もあるだろうが、今日の建築技術には火災に対する万全の予防策もあるはずだから、そのような心配をして便利な場所を避けるのはせまい料簡ではないかと思う。
家宝の感化(上巻151頁)
私はイギリス滞在中に貴族の家庭生活を知ろうとして熱心に研究し、有名なウエストミンスター公の邸宅をはじめ、だれそれ侯爵、伯爵の居城、〇〇キャッスルなどというところをいろいろ巡り、邸宅の広大さや建築の高雅さに感服した。
なかでも室内装飾において注目したのは、歴代の祖先の文勲や武功に関する油絵を書斎か客間に並べて飾り、いつも家族の目につくようにしているということだった。それだけだけでなく、晩餐の前に子供たちに肖像画に一礼させるようしつけている家庭もあるとのことだった。
またオックスフォード大学を訪問したときのことだ。学生が一週間に一度、教授たちと晩餐をともにする大食堂の壁には、同大学出身の偉大な学者、政治家などの肖像画がずらりとかけられていた。これなどを見ると、イギリスの大学教育というものが紳士の育成を目的とし、飲食交際のときにも自然に学生の気品を養成していることがわかり、この方法が非常に理にかなっていることに感心したのである。
と同時に私は、日本においては名家が所蔵する家宝が、これと同じ効果をもたらすものであることに気づいたのである。すなわち日本の名家では、先祖の文勲や武功により天皇や将軍や藩主などから拝領した記念品を伝家の宝物として子孫に伝えている。子孫もまた、この宝物に恥じないようにみずから奮励し、みずからを戒め慎む風習があることは私などもよく知る事実である。
かつて大名家には、いわゆる御家の重宝としてとくにあがめているものがあった。たとえば徳川将軍家では、本庄正宗、初花茶入、圜悟墨蹟の三点を重宝とし、出雲の松平家では圜悟墨蹟、油屋肩衝、槍の鞘茶入の三点を家宝の第一としている。
これらの家宝には、一家の名誉を表彰する来歴があり、主人はもちろん家族も、これらを見て自分の身分を顧みないということは心情的に不可能である。
絵画と器物という違いこそあれ、イギリスと日本の名家のあいだには共通する一種の伝統的な美風があることに気づき、私は今後とも、日本の名家がこの美風をながらく失わないようにしてほしいと強く希望している。
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