十七 初謁の福澤先生(下)(上巻55頁)
田舎から出てきた学生である私と渡邊治は、松木直巳氏に伴われ福澤先生に初にお目にかかったが、そのとき先生は、さも楽しそうな様子であぐら座りをなさり、遠くから帰ってきた子供を歓迎する老父のようにいろいろなことを話してくれた。その態度は無邪気そのもので私たちは深く感じ入った。談話はほとんど一時間半にも及んだが、そのなかで今もなお記憶に残っていることを記しておこう。
先生は座につかれるなり、「ああ、これはこれはよく来られた、委細は松木さんからきいています。これからは、なかなか面白い世の中になってくるから、若い者は大いに勉強するがよい。きくところによると、とても文章が上手だそうだが、水戸は光圀公以来、文学を奨励して学者が多く出たところだから、藩士のなかにその遺伝があって、自然に文学に優れた者が出てくることは当然だ。慶應義塾を出た者にも、なかなか文章を上手に書く者がいる。いま報知新聞にいる、藤田茂吉とか箕浦勝人などは、なかなかよく筆が立つ。藤田は書くのは達者だが、気が短いので、これは三日分の論説にするんだよといって、ひとつひとつ分けて話してやっても、それを一日分に書いてしまって、せっかくのネタを無駄遣いするような癖がある。箕浦は私の言ったとおりに筋を立ててよく書くので、私の代筆をさせて箕浦に勝てるものはありません。どんな文章でも、第一にわかりやすく書かなくてはなりません。議論を文章にするのはそれほどでもないが、見たところを、文字になおしてわかりやすく書くことはまことに難しい。例えば今、南洋諸島かどこかの人力車というものをまだ見たことがない人に、人力車がどんなものであるかということを細かく書いたとしよう。梶棒が前に二本出て、大きな車がふたつあり、幌がうしろについていて、車夫が梶棒を握ってひきまわすものである、というその様子がはっきりわかるように書くのはなかなか難しいことなので、それをよく練習しなくてはならない。私は最近「時事小言」という著書を書き、ようやく完成したところだが、貍蕎麦の別宅(注・現在の幼稚舎がある場所にあった福澤の別宅、近くに狸蕎麦という名前の蕎麦屋があった)にひきこもり、なるべく人に会わないようにして執筆したが、書き物をするには夜が一番いい。昼でも室内を閉め切って、ろうそくの灯で書き物をすれば気が散らないので一番だ。精神を集中して十分に書き物をするには、心広く、体ゆたかに、ということが肝心で、着物がごそごそ体に触れるようだと、それがなんとなく気になって静思熟考を妨げるので、私はそういうときには、絹かなにかのすべすべしたものを裏につけて、からだを動かしても肌触りのよい着物をじかに着て書き物をするようにしました。」
などなどと、私たちを未来の新聞記者とみなし、その心得になるようなことを多く語られた。私たちはお会いした初日に先生の作文指導を受け、非常にありがたい教訓を得た思いがしたものである。
先生は、新著「時事小言」の一節で、国権論の見地からの仏教擁護を説を唱えておられた。仏教は、外国の宗教であるが、はるか昔に日本に伝わり、それが日本化し、仏教の言葉が民間の俗語にも多く使われるようになっている。いわば日本の宗教のようになっているのだから、キリスト教とはずいぶん違っていて、対外関係の事柄について人心を導くためには、おおいに仏教に力を発揮してもらわなければならないという説を滔々と述べられた。
その後私の見たところによると、先生は何かの新説を考えついたときは、自分を訪問してきた人にその説をよどみなく述べたあと、反対意見を述べてもらうようにしむけるのが常で、反対意見があれば、できるかぎりは反論するものの、もしその反対意見に採用すべきよいところがある場合には、おおいにそれを参考にされるのだ。つまり、自分の説を世間に発表したときに各方面から起きる攻撃に備えて、自説を公表するときは事前に十分に反対意見をきき集めておき、このように攻撃されたら、このように応じる、というふうに、十分研究をされていたのである。
「時事小言」もこのときまだ刊行される前だったから、先生はいつものように私たちに対して、さかんにその論説を述べられたに違いない。まだそのときは明治十四年の政変前だったから、先生はまるで政治家をあやつる傀儡師のように立ち回り、大隈、伊藤、井上らと相談して、明治十六年に立憲政治を実現しようという勢いの時期だったのだ。松木氏に対しては特に当時の政治状況について話されたが、私たち田舎の学生は急に天下の大先生の前に出てきたので、ただ胸が躍るだけで思うように返事もできず、ひたすらに先生の話を傾聴するにとどまった。そして、とにかく、明日から慶應義塾の塾舎にはいって修学しなさい、ということになり、首尾よく先生との初めての会見を終えたのである。
「箒のあと」17 初謁の福澤先生(下)
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