二百四十 超人間的手裏剣(下巻335頁)
大正八(1919)年四月十三日、私は高田釜吉君の国分寺別荘に招かれ、君の、超人的な手裏剣の妙技を実見するという眼福を得た。私はこの妙技を見て、昔、楚の国の養由基(注・ようゆうき。弓の名人)が、柳葉を百歩離れたところから射て百発百中のうまさだったとか、わが国で寛永時代の武芸者が太刀先三寸で身を倒す早業があったというような伝説が、決して作り話でないということを確信するにいたった。
高田君がドイツ留学の十年間で、工学研究のかたわら、銃術、投槍、手裏剣などを学び、抜群の技量の持ち主であることは以前に伝え聞いていたので、ある日その実演のお手際拝見を願ったところ、高田君は何度か辞退したのちに、せっかくのお望みなので、国分寺の別邸で拙技をお慰みに供しましょうということで、銃猟に以前から親しんでいる古河虎之助男爵も招請してくれた。そこで当日私は、男爵と同道して、新宿から八王子街道を経て国分寺の高田別荘(原文「別墅(べっしょ)」に向かった。
到着してみると、高田君は私たちを広大な雑木林に導いた。そこで古河男爵はまず、その腕前を見せるべく、猟犬一匹と勢子(注・せこ。狩猟者の補助をする人。原文では「背子」と表記)七、八人を放ち、林の中の小笹竹やぶの間から、前もって飼い置かれていた鶉を狩り出させ、射撃した。男爵はこの道の鍛錬者であって、一発、また一発と、十中の六、七まで命中されたので、私たちはその腕前にしきりに感服した。
今度は高田君が本舞台に乗り出すことになったが、霰弾(注・さんだん、散弾。多数の細かいたまが同時に発射される仕掛けの弾丸)などではおもしろくないので、実弾で試そうということになった。
その前口上として、「鶉の雄は、胸のあたりが赤く、また雌は、ポツポツと黒い斑点があるのでこれを見分けることができる。そして、その飛び方や動作にも自然に違いが見られるので、鳥が飛び立つ瞬間に、まず、雄雌のどちらなのかを明言し、最初はその右翼を打ちとめることにします」と言い終わるや、一羽の鶉が飛び上がる見て、これは雄だと言って、すぐに打ち落としたのを拾い上げてみると、予言に間違いなく、はたしてそれは雄鶉であり、みごとに右翼を射貫かれたのであった。そして、この次は左翼を打ってみせようと宣言すると、そのとおりになったので、私は舌を巻き、その神技に驚いたのであった。
しかし高田君は、鉄砲で鶉を打つことなど造作もないことのようで、今度は手裏剣を試そうということになった。
櫟(注・くぬぎ)林の片隅をたどっていくと、足元から二間(注・一間は約108センチ)くらい離れたところで、一羽の鶉が飛び立った。その瞬間、さっと打ち出した手裏剣は目にも止まらず、そのとき君は勢い余って一間ばかりもよろめいて、どうとその場で倒れてしまったので、狙いははずれてしまったに違いないと思いきや、「今のは命中疑いない」と言われるので捜索してみると、尖端が鋭い三角形になっている笄(注・こうがい。かんざし)のような手裏剣が鶉の胴に串刺しになっている見事さで、実際に見ていない人に話しても、ほとんど信じてもらえないほどの妙技なのであった。
その後この櫟林を横切り、さらに数十歩行ったところで、またまた一羽の鶉を狙われたが、これも見事に命中した。しかも、ほとんど前のときと同じ場所を貫いたその手練は、一発目の成功を裏書きして、あれが偶然ではなかったことを証明することになった。
このとき、河原の太之という下僕が、私たちを追って来て、遥かむこうの松の梢を指さし、あそこに鳩が一羽止まっているので、これをお射止めなされませ、といって、鯨製の、長さ三尺ほどの半弓に、白羽の矢をつがえて高田君に差し出した。君は藪陰伝いにそろそろと近づき、ヨッと引きヒョウと切って放つと、その矢は飛び立とうとする瞬間の鳩を松の梢に射止めたのであった。私たちは、鳩がバタバタともがいている、その松の木を仰ぎ見て、思わず感嘆の声をあげずにはいられなかった。
高田君は、鉄砲、手裏剣、半弓と、やってだめなものはなかったが、今日はとりわけ出来がよかったと、みずから宣言されたとおり、百発百中で余裕綽々(注・しゃくしゃく)としていた。しかも危なげも一切感じられなかった。
さて、今日の試練はこれくらいにすることにして別荘に戻ることにした。すると、料理に堪能な高田君は、たちまちにして猟装を脱ぎ捨て料理番に早変わりした。そしてみずから台所に立って、ひとつひとつ塩加減を試していたところ、先ほどの太之が、「ただいま、畑に雁が降りています」という報告をした。それをきいた君はすぐに立ち上がって、「さらば、その雁を打ち取って御馳走のひとつに加えよう」といって、早くもわが手中におさめたような口ぶりでイギリス製実弾二連発を携えて裏手から駆け出した。すると、出て行ったと思う間もなく、大きな鴻雁【ひしくいがん】を打ちとめて持ち帰られたので立ち上がって見に行った。すると、頸部のいちばん細いところを射抜いてあるのであった。このとき高田君は、雁の胴体を打ってしまうと今夜の御馳走にならないと思い、頭部を打とう苦心したのに、少し下がってしまい頸部に当たったのだと言うのである。そこで太之に命じ、その弾道を測らせてみると、距離は百六十五間(注・約180メートル)だということだった。
私などは、この間隔では鳥がいるかどうかもわからないほどなのに、君は超人的な眼力をそなえているものとみえる。
とにかく、私は生まれて初めてこのような妙技を見て、おおいに驚き、かつ悟るところがあったので、その当時この話を披露したこともあったが、ここに再び記述する次第である。
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