*太平洋戦争中、日本の文化財を空爆から保護する目的でアメリカで作られた、「ワーナー・リスト」というものがあったということを、松田延夫氏の著作で知った。

松田延夫氏は、1923年生まれの元読売新聞文化部記者。雑誌「目の眼」に、1980(昭和55)年10月から1985(昭和60)年10月までの5年間連載した近代書画骨董界の動向を、読売新聞社より「美術話題史」(1986)として、また、長年親交のあった古筆研究家、小松茂美氏の主宰する「水茎」誌において1993(平成5)年9月15号から28号まで連載した近代茶人と古美術の動向を、2002(平成14)年に里文出版より「益田鈍翁をめぐる9人の数寄者たち」として出版している。
益田鈍翁探索の一環として、さっそく手にいれ、読んでみた。

本の内容は別の機会にゆずるとし、さて、ウォーナー・リストとはなんであろう。
松田氏の上記二冊の本では、両方にそれぞれ説明があるのだが、記述内容が、なぜか微妙に違っている。

「美術話題史(1986)」P32では
≪ここに甚だ興味深い記録が残っている。それは太平洋戦争の最中に、アメリカの議会が我が国の文化財を爆撃その他の破壊から除くために、極秘のうちに作り上げた文書、いわゆるウォーナー・リストについてである。
この中には、奈良の法隆寺や京都の金閣寺(焼失前)といった第一級の国宝や文化財が含まれていたが、個人の美術コレクターとしても、益田鈍翁(小田原)、原三渓(横浜)、岩崎男爵(目黒)、前田侯爵(渋谷)などの名前が挙げられており、中でも益田・原両者には重要印がつけられていた。
この二人の名前は、少なくとも東洋の美術収集に関しては、そのころ世界的コレクターとして位置づけられていたのである。≫

とあるのに対し、

「益田鈍翁をめぐる9人の数寄者たち(2002)」P257では
≪第二次大戦中、奈良・京都を含む世界的文化財が空襲の被害から救われたことは今日ではよく知られている。即ち、戦争の早期の時点で米国内につくられたロバーツ最高裁判事を責任者とする同名の委員会が設けられ、東洋の部ではP・サックス、ハーバード大学教授がその代表者となり、親友のラングドン・ウォーナー博士が日本に関する文化財資料の作成を担当したのである。
 ウォーナー・リストと呼ばれるこの記録は日本全国にわたって保護保存を必要とすべき文化財、建築、美術工芸、文化施設を指定し、重要度に応じて*印の三を最高に、二を次とした記録簿である。
 三印の多いのはやはり奈良・京都周辺地区で、法隆寺、平等院、薬師寺、金閣寺などがこの範疇に入っている。大体、古社寺関係が多く挙げられてはいるが、ここで興味深いのは個人のところで、中でも美術コレクターとして*印がついているのは、三つはなくて二が三名あることだ。
横浜の原富太郎、東京の根津嘉一郎、同団伊能だけがこの印で、岩崎、前田、細川、住友といったコレクターのところは無印として挙げられている。
「文化財は日本爆撃からどのように護られたか」(「芸術新潮」昭和三十二年十二月号)には、リストとともに、「このリストをめぐって」という矢代幸雄の一文が添えられている。
 矢代がウォーナーと最初に出会ったのは大正七年、三渓園においてで、このときウォーナーは友人シレーン(第一回フリーア賞受賞者)と二人連れで、フリーアからの紹介状をもって同園を訪れ、三渓の蔵品、とりわけ光悦、宗達、光琳などを鑑賞し、いろいろと三渓の見解を質している。
矢代は後にハーバード大学の美術講師に就任しているが、戦後の占領下のときの文化財関係の用件でマッカーサー司令部の文教課を訪ねると、部長のヘンダーソン陸軍中佐は昔ウォーナーの弟子であり、他にもハーバード大学当時の顔見知りが多く、安心したと述べている。
 ところで、戦時中の三渓園だが、*印の二印にも拘らず数発の爆弾を見舞われ、苑内の中心的建造物といえる臨春閣(江戸時代・重文)もかなりの損害を被っている、」これというのが、本牧界隈に実は高射砲陣地が生まれ、米飛行機はこれへの反撃として撃ち返すうち、何発かが外れて飛び込んだ、ということのようである。流石にリスト通りに、園そのものを直に爆撃したものではなかったのである。≫

となり、鈍翁の小田原邸は、*の無印のところにも言及されていない。

ウォーナー・リストの実物を見てみないとなんとも言えないので、ちょっと探してみた。
そもそも、ウォーナーって誰?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC


なるほど、1903(明治36)年にハーバード大学を卒業後、ボストン美術館で岡倉天心の助手をやっていたというから、日本美術の専門家だ。

しかし、このWIKIの説明では、ウォーナー・リストが作成されたのは事実だが、戦争中の文化財への爆撃をストップさせるほどの大きな力があったかどうかには、疑問符がつけられているらしい。

続いて、この秋東京で、こんな映画が公開されることを知った。


「ウォーナーの謎のリスト」
http://www.cinemabox.jp/
2016年10月29日から、神保町シアターにて。
ウォーナーの謎のリスト


ウォーナーが作ったとされるリストが日本の文化財を救ったというのは、ほんとうなのか、単なる伝説なのか。

この映画では、司馬遼太郎が「街道をゆく」で紹介して有名になった、ロシア人ジャパノロジスト、セルゲイ・エリセーエフが神田古書街を救ったという説も取り上げ、エリセーエフの義娘にもインタビューをしているようだ。(エリセーエフに関しては、以前古書で求めて読んだ2冊の本(「エリセーエフの生涯」「赤露の人質日記」)が、とびきりおもしろく、明治時代の外人さんでこれほど興味深い人物のことがよく知られていないことは、非常に残念だと思っている。こんなとこで娘さんの直声がきけるなら、この映画もぜひ見たいものだ!)

しかし京都に関していえば、史実は、京都は直前まで原爆の投下地の最有力候補だったが、この映画のあらすじ紹介でも触れられているように、1945年にトルーマン大統領の近くにいた参謀ヘンリー・スティムソンの進言により爆撃地を免れたことが、最近の研究で明らかになっているのだ。

いやはや、いったい、どれが正解なのか、誰が文化財を救ったのか!?

ウェブサーフィンでたまたま目についた2015年8月9日のBBCのニュース記事を読んでみると、京都に関していえば、断然スティムソン説が有力のようだ。スティムソンの強力な進言なしには、京都への原爆投下は避けられなかったとみられる。
この記事で目をひいたのは、戦後に、原爆投下にまつわる話題をタブーにするGHQの方針で、スティムソンの名前は伏せられ、かわりにラングドン・ウォーナーの名前を日本人向けの宣伝に使い、文化財が守られたことが強調されたのではないかという説。これにはなかなか説得力がある。


さきほど上にあげたWIKIによれば、1945年11月に、松田氏の著作にも登場した美術史家の矢代幸雄氏が、朝日新聞上でウォーナーの功績を紹介したということなので、このあたりにGHQの差し金があったか、あるいは記事を見たGHQが宣伝材料として飛びついたのか。そのあたりが、ウォーナー・リスト伝説の秘密を解くひとつの鍵になるのかもしれない。


まあ、だれが救ってくれたのでもいい。
どっちにしろ、ウォーナー・リストに記載されていたのに、救われなかったものは多い。
中でも爆撃目標として間違えようのない、お城などの大物も多いのだ。

真相はともかく、アメリカにも大勢、日本に文化財の保存について、戦争中に憂慮していた人がいた、というだけで、いいという気もする。
だいたい、戦争をやっているときに、敵国の文化財を保護していたら、はじまらない。
ましてや、武人が荒々しいのは、日本だけに限ったはなしではない。
所詮文化人の発言に、戦時に、どれほどの力があるものやら。


ちなみに、ウォーナー・リストの実物には、まだお目にかかっていないが、上記の映画宣伝によると、次のような物件が載っていたそうだ。

国宝から個人所蔵の宝まで150を超える日本の文化財が記されている。平泉・中尊寺、長野・善光寺、日光・東照宮、出雲大社、鎌倉・大仏、伊勢神宮、厳島神社、延暦寺、平等院、薬師寺、法隆寺、高野山の30の寺院、桂離宮、清水寺、大谷大学附属図書館、竜谷大学附属図書館、大阪市立図書館、東洋文庫、早稲田大学・仏教図書館と博物館、東京帝国大学・図書館と文学部史料編纂所書庫、上野公園、東京美術学校、東京帝室博物館、寛永寺、浅草寺本堂、皇居、明治神宮、帝国ホテル、団伊能私設コレクション、慶応大学・アジア研究用図書館、岩崎私設コレクション(静嘉堂文庫)、前田侯爵私設コレクション、細川私設コレクション(永青文庫)など。≫




ところで最後にもうひとつだけ、つぶやいておく。
ウォーナーという表記について。
Warner Brothersは世界的に有名な映画製作配給会社だからだれでも知っていると思うけど、こっちはワーナーブラザーズと表記。
ウォーナー・ラングドンは、Warner Langdonで、同じWarnerさんなのだ。
ワーナー・リストのほうが、個人的にはよかった気がするけど、まあ、今さらというところ。
貝塚のモースさんと、モールス信号のモールスさんが親戚同士のMorseさんで、ヘボン博士とオードリー・ヘップバーンは当人同士は親戚ではなくても同じHepburnさんなのと同じたぐい。いまさら訂正もできないのだろうけど、もとは同じだったことを覚えておきたい。