2015年は、住友春翠の生誕150年の年だそうで、「バロン住友ー邸宅美術館の夢」という名の展覧会が京都の泉屋博古館で開かれた。その展覧会が、ちょうどいい具合に、東京の泉屋博古館に巡回してきているようで、うまくいけば4月の日本滞在中に、それを見ることができそうだ。
 
4月14日には、藤森照信先生のトークもあるそうで、申し込みをしたところである。

友達が、最近ちょうど京都の泉屋博古館を訪れたばかりで、その中国青銅器のコレクションに驚嘆していた。
その後、「庭師 小川治兵衛とその時代」(鈴木博之著)をなにげなく手にしたところ、なぜ春翠が青銅器のコレクションをしていたのかについて書かれていた。

住友家は、もともと京都の出自であったが、1623(元和9)年に大坂淡路町に銅吹所を設け銅の精錬の本拠地としたのだそうだ。その家業との関連から、春翠は、古銅器の収集を意識的に行っていたという。

この春翠は、住友家に養子ではいった人で、もともとは徳大寺家の出身。そのとき28歳の立派な成人で、漢学、国学、和歌、茶道などの公家の教養をすでに十分に身につけていた。長兄は、のちに侍従長となる徳大寺実則、もうひとりの兄は西園寺家を継ぐことになる西園寺公望。

小川治兵衛の最大のパトロンとなる春翠であるが、西園寺公望の庭にも、小川治兵衛が大きくかかわっているのは、こうした関係によるところも大きかったはずだそうだ。