だすだすだすノート

箒庵 高橋義雄『箒のあと』(昭和8年 秋豊園刊)の本文を、やや読みやすくした現代文で紹介しています。各ページへ移動するには、コメント欄下にある「目次」をご覧になるか、またはカテゴリ別アーカイブからおはいりください。 (2020年11月に人名索引を追加しました。)

2016年02月

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北川智子著「ハーバード白熱日本史教室」を読んだ。

この人の成功に、いちゃもんつけたい人が大勢いたことは知っていたし、読んでいて、なるほどこれでは、と思った点はある。でも、全体として、わたしは、素直に拍手を送りたい。

すくなくとも、3つの点で、この人の行動は賞賛に値する。

・外国人に日本史を教えることの意味は、ということをよく考えている。

・日本史に限らず、学問するということの意味や、その生かし方を、学生に体得させようとしている。

・学問の専門家としてではなく、学問する先輩として学生を導くのが大学教師の仕事であると割り切っている。

日本史を学ぶことで、日本がどんなにすばらしい国であるかを知ってもらう、だとか、日本史自体がこんなにおもしろいとわかってもらう、だとかいうことには、力こぶを入れていないことが、まずよい。

「日本史」という限定されたフレームのなかでも、もっと大きく「歴史」を学ぶとはどういうことか、ということを問題にして、日本史を単なる方便として利用するスタンスなのがよい。

この人は、日本史以外の教科を教えることになっても、すぐれた教師になるだろう。

ただ、日本史のエキスパートから言わせると、その内容があまりに表層的かつ独善的、つまり、学問的なステップを無視しすぎなのが気に食わない、ということだったのだろう。
そんなことは、北川さんも承知のうえだ。
正面切って、日本の大学で日本史研究している日本史の象牙の塔の住人たちとやり合う気など、さらさらない。

まだ36歳。いまはケンブリッジ大学で中世数学史の研究をしているという。
最近出た「ケンブリッジ数学探偵」は、数学の専門家たちから、またしても反発を食らう内容になっているようだが、まあ、どうしても、北川さんがやると、そうなってしまうのだろう。
従来の大学の先生たちとは、そもそも学問をすることの方向性が違っていると思うから。

もっとも、大学で研究している必要がある人なのかどうかは、考察の余地ありなのかもしれない。
でも、お金を出してもよいという大学が海外にでもあるならば、双方の目的が一致して、お互い幸せで、たいへんよろしいのでは?

だいたいにおいて、海外に出て自然体でしなやかに活躍している日本人は、「日本は」、「日本では」ということを力説したりしない。
だから、逆に、世界という舞台では受け入れられる、ともいえる。
最初から「世界人」として行動しているから、外国の人も受け入れやすいのだ。
なんだかこの人、おもしろい。
そんな人が、日本語で本を書いてくれるのが、正直なところありがたい。









「日本文化のゆくえ 茶の湯から」(淡交社・1998)

当時、民博の教授だった、茶道研究者・熊倉功夫さんが、日本の伝統文化に造詣の深い12人の識者と意見交換する対談集で、それぞれの題目は次のとおり。
「道」-林屋辰三郎
「芸」-渡辺保
「座」-鈴木健一
「仕種」-山崎博紹
「畳」-鈴木博之
「見立て」-田中優子
「美」-河野元昭
「型」-中村宗哲
「数寄」-近藤道生
「趣味」-梅棹忠夫
「禅」-古田紹欽
「未来」-伊東順二

それぞれに、確立した「世界の切り取り方」を持っている人々であるから、どのような話の展開になっても話は尽きず、深く、おもしろくなっていくばかり。

知らなかったことを知れてわくわくするような、知識吸収型のおもしろい本は、最近、年のせいか、もう読まなくてもいいな、と思うことが多くなってきているのだが、やっぱりおもしろいものは、おもしろいものだと思った。
さすが、日本の伝統文化だけに、どの分野も奥が深い。

しかし、まさにこの点が、ある特定の文化研究を極めようとする人たちに共通の、どんづまり感をもたらすことになる。
おもしろく、興味深く、もっと深く知りたいという知的好奇心を満たしてはくれるが、話が過去にとどまりがちで、未来への展望が見えてきにくいのだ。

この本の中で、「文化は分化」だと、梅棹先生がおっしゃるように、ある特定の文化について追求していく姿勢というのは、その文化の枝葉末節のすみずみにこだわることだと思う。

「日本文化」という世界の切り取り方は、たしかにおもしろく、深く、繊細で、それを見ている限りにおいては、消滅しては惜しい、と思う事象が多い。
それに魅せられた人は、この伝統を守り抜き、未来のなにかの役に立てたいと願う。

しかし、いざ外部に目を向けてみると、日本文化、とくに私たち日本人が心のよりどころとするような伝統文化のことを言っているのだが、現在のワールドワイドな世界で、それがなにかの推進力になることは、いまのところあまりなさそうなのだ。

日本の伝統文化というのは、(文化が言語と密接な関係があることをもってしても)、現在の地球規模の世界においては、かなり局地的なオタク趣味におちいっていることは、いなめないと思う。

それを批判する気持ちはさらさらなく、その記号を理解し、楽しんだり、深めたりすることに喜びを感じる人のあいだで、保存していければ、それでよいと思っている。

この本のなかで最も楽しみにしていたのは、梅棹×熊倉対談だったが、その梅棹先生も、「現在(対談は1997年に行われた)日本が世界に貢献している日本文化というのは、カラオケとアニメとテレビゲーム。あと、かなりいいところまでいっているのは日本料理」で、日本文化の普遍性という意味で、「伝統文化には見込みがない」と、はっきり断言している。

熊倉氏は、この点に食いついて、「でも、日本の文化の理解を深める方法としては、可能性はありますでしょう?」と問いかけるのだが、梅棹先生の答えの歯切れは悪い。
「どこかの点で氷づけにしようとしても、無理。(文化を)生き物としてみとめる以上は、変化は容認するしかない」と、文化は時々に応じて変容していくものだという立場をとる。
伝統文化は、現時点での日本文化とはまた別物だ、ということもおっしゃりたいのだろう。
ある文化が広くゆきわたるとき、その底は浅くなり、繊細さが減っていき、大衆化するものなのだ。
これがわたしには正論に思え、実に気持ちよかった。

そのほかの対談における、おのおのの日本文化論は、どれもこれ以上はないくらいにおもしろかったのだが、「日本文化のゆくえ」ということを問題にするならば、一番するどい見通しを持っていたのは、やはり梅棹先生だったように思う。

これからの時代、なにを考えていくうえでも、「世界のなかの自分」という視点が必要なんじゃないかと思っている。
その点を無視して、自分の好み、快楽を重視して、自己中心の世界に没頭耽溺していると、「社会との接点がなく、自己満足で閉じた世界だ」と批判を受けがちな「オタク文化」に、日本の伝統文化もまた、おちこんでいき、「地球の片隅で美しいオタク文化の花」を咲かせ続けることだけが目的になっていくのかもしれない。

それでも、それが誰かにとって、楽しく、美しく、幻惑的であれば、結構なことだし、わたしもそのおこぼれにあずかりたいなと思うひとりなのである。




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(よい本の例にもれず、この本も絶版です)



今朝LINEで毎日新聞を見ていたら、樹木希林が、ミレーの描いたハムレットのオフィーリア に扮して(顔の部分だけ彼女の顔の差し替え?)川を漂う写真が目にはいってきました。
「死ぬときくらい好きにさせてよ」というキャッチコピーつきの、ポスターらしきもの。

その新聞記事は、樹木希林への「死生観」についてのインタビューだったのですが、この写真については、
≪1月5日、毎日新聞朝刊などに掲載された見開きの全面広告≫で、
≪宝島社が「死について考えることで、いかに生きるかを考えるきっかけになれば」との狙いで制作した≫とだけあって、わたしには、さっぱりわからない説明。

なんで宝島社が新聞に全面広告を出すのだろう、なんのため?なぜなぜ?と理解できません。

そこで調べてみると、これは「企業広告」というもので、宝島社という出版社が自社イメージを発信するために制作したのだということが、やっとわかってきました。

雑誌とかムックで知られる宝島社が、媒体自身を使って伝えたいこと発信するのではなくて、新聞広告で、企業イメージをアピールしていたのか・・・。

オノレの土俵で勝負せよ!という気もするけれど、まあたしかに、いいアイデアかもね、と思いました。
(わたしがそう思うまでもなく、宝島社の企業広告はずいぶん前にはじまって、注目されたものもあったようです。)


関心をもち、宝島社のホームページを見ていたら、社名にもなっている月刊「宝島」が、2015年10月号をもって41年の歴史に幕を閉じたというお知らせを見つけました。

この「宝島」という月刊誌は、かつて植草甚一が編集をしていた「ワンダーランド」という雑誌の版権を、1973年に、当時JICC出版局といった、現宝島社が引き継いだもので、雑誌「宝島」で人気のあった、ヘンなものを見つける読者投稿コーナー”VOW”は、中断期はあったが、もともと植草甚一の編集時代に始まったものだったそう!
VOWとは、Voice Of Wonderland の頭文字なのですって。

ついでながら、休刊後、VOWのコーナーは、同社の”Sweet” という、看板女性ファッション雑誌に引き継がれているそうだけど、この引っ越し先は、吉と出るか、凶と出るか。
この場所で、そこの元の住人である若い女の子たちの注意を引くのかな・・・、うまくすれば、新しい地平が開けそうでもあるけれど・・・。

今話題になっている「にじいろジーン」の提供を宝島社がやっているということなので、なになに?テレビCMも作っているの?と探してみたら、たしかに、そのSweetの宣伝っていうのがあった!
今発売中の2月号の付録は、〇〇〇のポーチです!っていう内容の15秒CM。

おもしろい会社だなあ、と、つくづく思った次第です。

この発端は、最初の樹木希林の写真でした。

やはり企業広告も、作ってみるものですね。
わたしも、宝島社のこと、なんとなくイメージできるようになったもの。
VOWコーナーのゆくえ、これから注目してしまいそうです。


「読書メーター」か、「ブクログ」か、決められません。

調べてみると、ほかの方々もどっちにしようか決めかねることが多いようで、どっちもどっち、一長一短のようです。
とりあえず100冊ずつ登録してみて、考えるつもりです。


さて一冊の本を登録すると、どちらのサイトでも、ほかに何人の人が登録しているのかがわかります。

古書系が好きな人は、予期したとおり少数のようです。

それでもぽつっと同志がいてくれるのが、暗闇にともる行燈みたいに気分をほっとさせてくれるのですが。

ほかの人は、いったい何を読んでいるんだろうと、ちょっと気になりますね。

わたしが入力したなかで、登録数の多かったものは、こんな感じでした。

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読書メーター:1296登録
ブクログ:1046登録

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読書メーター:3390登録
ブクログ:3256登録


そしてダントツだったのが、
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読書メーター:12700登録
ブクログ:8785登録。

なるほど、読まれているものは、けた違いに読まれているのですね。
ほかの登録者数がひとりの本もあれば、一万人を超えている本もあるということで、利用者がすくなくないことを知ります。

評判になった本は、読者も多いのですね。
逆に、ベストセラーにならなければ、人の目につくこともなく、良書が埋もれていくことも多いのでしょう。
わたしもこの本「嫌われる勇気」には、とても共感しましたが、(帰属する共同体への貢献と、自分の行動への勇気。ーーーまさにいまの人類のひとりひとりに求められている資質であると、強く同感しました。)、これと同等、同等以上にいい本だって、たくさん、たくさんあるはずなのに・・・。うーむ。


人から借りて最近読んだ
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は、読書メーター:5756登録、ブクログ:4098登録、


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は、読書メーター:1142登録、ブクログ:542登録でした。

全体の登録者数は読書メーターのほうが多いようだし、「相性」のよい他の読者を探す機能や、ツイッターのように一言つぶやく機能が「読書メーター」にはあって、ちょっと惹かれるものを感じます。
これが「読書メーター」の人気にもなっているようです。
ですがわたしの場合は、読書サイトで「お友達」を見つけることは、主たる目的ではありません。

一方、本棚への入力作業やレイアウトは「ブクログ」のほうが使い勝手がいいと感じはじめました。
最初から細かく本棚を作るのではなく、一括してひとつの本棚に放り込んでいく方式です。
ですが、本棚の本の入れ替えは簡単なうえ、カテゴリやタグを使ってこまかく分類できるので、本が増えてきたときに、検索するのが楽になりそうで、あとになって威力が出てくるのではないかと、今の時点では思います。




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