一年前の今日、2015年1月30日の東京は雪でした。
駒込にある「旧古河庭園」はいつでも自由に見学することができますが、ジョサイア・コンドル設計の邸宅の内部を見学するためには、往復はがきによる事前の申し込みが必要です。
自宅を出るとみぞれまじりの寒い朝で、地面はシャーベット状でぐじゃぐじゃになっており、滑らないように一歩一歩踏みしめて歩かねばなりません。
電車のダイヤも乱れていたので、臨時休園ということもありうるかな、と心配しながらやってきてみると、入り口にはちゃんと職員の方がいて迎えてくださいました。
邸宅見学者は、わたしのほかには、わざわざ遠くから来られた女性の方がおひとりで、ほかの方は見合わせたのか、それとも申し込みがもともとなかったのか、見学者ふたりの贅沢なツアーとなりました。
この邸宅は、大正6(1917)年にジョサイア・コンドルが設計したものです。
この地は、もともと陸奥宗光邸のあった場所で、陸奥の次男が古河財閥に婿入りしたことから古河家の所有になった後に、洋館と庭園が造営されました。
明治時代のお金持ちは、たとえば湯島の旧岩崎邸、駒場の旧前田邸のように、敷地内に和館と洋館を別々に建て、和館は生活の場所に、洋館は接待の場所にと使い分けをしていることがありましたが、この古河邸は外見は洋館のなかに和洋を同居させ、一階が洋空間、二階が和空間になるように設計されています。
一階部分の天井は4m3cmと非常に高く、暖房をいれてくださっているのですが、雪のせいもあり非常に寒かったです。
やはり興味深いのは二階部分で、階段をあがったところから見渡すと、それぞれの部屋に通じる大きな木のドアがふつうに並んで、一見洋風の作りに見えるものの、なかは畳の部屋になっています。
なかでもびっくりしたのは、ひとつのドアの向こう側に仏間が現れたことでした。
外見は洋館、と書きましたが、じっさいには外観もコンドルなりの和洋折衷の試みだったのではないでしょうか。
重厚堅牢ななかに、ぬくもりを感じるように配慮されたような印象があります。
でもわたしは個人的にはどこかしっくりしないものを感じてしまいます。焦げ茶の外壁と白っぽい窓枠が、どちらも自分を主張しすぎで、なんともいえない野暮ったさを生み出してしまったような気がします。
さて庭園にも和洋が配されています。
建物から見て、下方に傾斜を下っていくと、底辺部分にある日本庭園に降りていく途中にあたるところに、これもコンドルのデザインによるバラ園があります。
一階のダイニング・ルームからは、洋風の景色だけが眺められるようになっているわけです。
(この広いダイニング・ルームでは、見学者がお茶とケーキを注文することができます。わたしも果物が配された美しいレリーフに囲まれたこの部屋で、しあわせな時間を過ごしました。)

(左がわの幾何学模様の部分が、バラ園)
バラ園の下方に小川治兵衛作庭の日本庭園があり、この日は雪化粧がされ、写真を撮りに来たと思われる人がひとりふたりいるだけで静寂に満ち、幻想的なまでの美しさでした。二階の和室からは、こちらの景色が眺望できるようになっていて、非常に考えられた庭園の配置です。
いまでは数少なくなったコンドルの作品に出会うことができるばかりでなく、小川治兵衛(植治)の手になる日本庭園とのセットで見学できるということは、平成の東京で、夢のようだとしか言えません。

どちらも見落とさないよう、事前に申し込みをなさることを強くおすすめします。
申し込み先:
公益財団法人 大谷美術館