前回、森銑三翁との「なれそめ」について書こうと思ったのは、おとといの石光真清の四部作の解説が森翁の手になるものだったのを見つけて、なつかしく読み返したからだったのでした。
石光真清の、平凡な人であれば十人分に相当する豪傑一代の大長編のあらましを淡々と概観しながら、石光氏の仁義に厚く清廉な人となりを浮き彫りにした森翁の解説の筆致には、うならずにはおれません。
本編で、それまで著者といっしょに、手に汗握り、泣いたり笑ったりしてきた読者は、結局最後まで世俗的な地位を得なかった石光氏が、九十五歳の母の死をもって筆をおいた時、これでいいのだ、と爽やかな気持ちを持つ一方で、ややとまどい、もっと何かあるのではなかったか、と天を仰ぎたい気持ちに、ほんの少しだけさせられるのです。
そんなとき、森翁の解説をむさぼり読むことで落ち着きを取り戻し、やがて石光氏とともにあたたかい神の掌に包まれるような気分に浸り、やはり石光氏はいい人生を送ったのだ、と感慨に浸ることができるのではないでしょうか。内容の濃い本編のあとに、短くも、何度でも読み返したくなる味わいのある人物評と解説が配置されて、作品の重厚感が損なわれることなく四部作が完成します。
この解説になった文章は、「明治人物閑話」という、昭和40年代から50年代にかけて月刊誌などに書かれた明治時代の人物評を集めた評伝集にも所収されており、そこでも目にすることができるのですが、つい最近森翁の著作が何点もあいついで中公文庫で復刊され喜んだのもつかのま、こちらはすでに絶版になってしまっているようです。
森翁の著作の数々は、これから日本語が存在する限り読み継がれるべき内容と格式を備えており、できれば著作全集を電子書籍版で作っていただき、絶版のないようにしていただきたいと願います。もっとも、古書でなら、いくらでも手にはいるのですから、いっそのこと文庫本ではなく、版の古い単行本を探してみるというのもよいかもしれません。
今日現在、新刊で手にすることのできる森銑三翁の著作は、岩波文庫「明治人物夜話」という別の人物評伝集と、翁の地道詳細な研究から、井原西鶴の真作は好色一代男ただひとつであると断定した問題作「井原西鶴」ほか数点のようです。「明治東京逸聞史」は、平凡社東洋文庫にはいっています。
岩波文庫の「夜話」のほうは、中公文庫の「閑話」とは何篇かの重なりはあるものの、大部分の内容が違いますので、両方持っていても、それぞれに楽しむことができます。 ほかにも、「渡辺崋山」のような長編や、こども向けに書かれた江戸時代の科学者列伝である「おらんだ正月」など、森翁の人物評伝は無数にあり、名前をきいても知らない対象も大勢いるのですけれど、翁のセンサーにひっかかってきたくらいの人物なのですから、なにかふつうとは違う見どころがあった人々にちがいません。後世において忘れられてはならない人も、いまなお再発見されるのを待っているかもしれません。
そうした人を探し出す喜び、しかも、そのような人たちについて、森節の抑制のきいた文章で読むことができるというのは、最上の読書の贅沢ではないでしょうか。
石光真清の、平凡な人であれば十人分に相当する豪傑一代の大長編のあらましを淡々と概観しながら、石光氏の仁義に厚く清廉な人となりを浮き彫りにした森翁の解説の筆致には、うならずにはおれません。
本編で、それまで著者といっしょに、手に汗握り、泣いたり笑ったりしてきた読者は、結局最後まで世俗的な地位を得なかった石光氏が、九十五歳の母の死をもって筆をおいた時、これでいいのだ、と爽やかな気持ちを持つ一方で、ややとまどい、もっと何かあるのではなかったか、と天を仰ぎたい気持ちに、ほんの少しだけさせられるのです。
そんなとき、森翁の解説をむさぼり読むことで落ち着きを取り戻し、やがて石光氏とともにあたたかい神の掌に包まれるような気分に浸り、やはり石光氏はいい人生を送ったのだ、と感慨に浸ることができるのではないでしょうか。内容の濃い本編のあとに、短くも、何度でも読み返したくなる味わいのある人物評と解説が配置されて、作品の重厚感が損なわれることなく四部作が完成します。
この解説になった文章は、「明治人物閑話」という、昭和40年代から50年代にかけて月刊誌などに書かれた明治時代の人物評を集めた評伝集にも所収されており、そこでも目にすることができるのですが、つい最近森翁の著作が何点もあいついで中公文庫で復刊され喜んだのもつかのま、こちらはすでに絶版になってしまっているようです。
森翁の著作の数々は、これから日本語が存在する限り読み継がれるべき内容と格式を備えており、できれば著作全集を電子書籍版で作っていただき、絶版のないようにしていただきたいと願います。もっとも、古書でなら、いくらでも手にはいるのですから、いっそのこと文庫本ではなく、版の古い単行本を探してみるというのもよいかもしれません。
今日現在、新刊で手にすることのできる森銑三翁の著作は、岩波文庫「明治人物夜話」という別の人物評伝集と、翁の地道詳細な研究から、井原西鶴の真作は好色一代男ただひとつであると断定した問題作「井原西鶴」ほか数点のようです。「明治東京逸聞史」は、平凡社東洋文庫にはいっています。
岩波文庫の「夜話」のほうは、中公文庫の「閑話」とは何篇かの重なりはあるものの、大部分の内容が違いますので、両方持っていても、それぞれに楽しむことができます。 ほかにも、「渡辺崋山」のような長編や、こども向けに書かれた江戸時代の科学者列伝である「おらんだ正月」など、森翁の人物評伝は無数にあり、名前をきいても知らない対象も大勢いるのですけれど、翁のセンサーにひっかかってきたくらいの人物なのですから、なにかふつうとは違う見どころがあった人々にちがいません。後世において忘れられてはならない人も、いまなお再発見されるのを待っているかもしれません。
そうした人を探し出す喜び、しかも、そのような人たちについて、森節の抑制のきいた文章で読むことができるというのは、最上の読書の贅沢ではないでしょうか。
